賛美歌の「アメージング・グレース」には別名がある。「赦しの歌」という。作詞したのは英国の牧師。奴隷貿易に手を染めた過去をざんげし、神の赦しに救われた。その感激をつづっている。

 赦し難きものを赦すことは容易ではない。大切な娘を連れ去り、会えなくした人物を赦すことなどできようか。北朝鮮に娘を拉致された有本嘉代子さんは、それができる尊い人だった。

 三女恵子さんを「よど号ハイジャック事件」の実行犯の元妻らに拉致された。嘉代子さんにとっては憎悪の相手である。それでも、謝罪を受け入れた。元妻も北朝鮮に子どもを残していたからだという。

 子を思う母の慈愛に、心が震える。だからなおさら、悔しくてならない。嘉代子さんが94歳で亡くなった。ただ一つ願った恵子さんとの再会を、かなえてもらいたかった。

 嘉代子さんは徳島も何度か訪れ、拉致被害者救済への支援を訴えている。中学校の人権学習での講演では、生徒にこう語りかけた。「家族と暮らせるのは素晴らしいこと。良い行いをして、いい人生を過ごしてください」。愛情のこもった言葉を忘れない。

 拉致された疑いのある人は本県にもいる。被害者家族は高齢化が進む。安倍晋三首相は嘉代子さんの訃報を受け「あらゆるチャンスを逃さず、果断に行動する」と解決を誓った。猶予はない。