淡路島は春、百花咲き乱れる季節である。島で生まれ、晩年を過ごした江戸時代の豪商、高田屋嘉兵衛(たかだやかへい)にとっても心華やぐ時季だっただろう

 小説「菜の花の沖」でその足跡を追った司馬遼太郎さんが評している。人の偉さを英知と良心と勇気で測れば、江戸時代で最も偉い人、「いま生きていても、世界のどんな舞台でも通用できる人」

 そんな大人物をつかまえて、了見の狭い話になるが、淡路島は元々、蜂須賀家の所領だ。維新で失われた徳島の北方領土じゃないか、といって今更どうなるものでもないけれど。ともかく嘉兵衛は、徳島藩も士分にとりたてた郷土の先輩である

 水夫から身を起こし、函館に拠点を構え、蝦夷(えぞ)地交易で財をなす。幕府の命を受けて択捉島への航路を開き、漁場も開拓した

 人間が試されたのは1811年に起きたゴローニン事件。列強の来航で日ロ関係も緊張する中、日本側は国後島でロシア艦の艦長を捕らえた。その報復で翌年、ロシア側に連行された嘉兵衛は、こんこんと理を説いて両国の仲介役となり、一触即発の事態を収拾する

 嘉兵衛が愛した菜の花の咲く洲本市五色町都志。「ウェルネスパーク五色」の顕彰館に掲示されている。「日本にはあらゆる意味で人間という崇高な名で呼ぶにふさわしい人物がいる」。当時のロシア側の見立てである。