阿波市市場町出身で、徳島での勤務は3回目となる。定年退職までの最後の1年を故郷で過ごすことになり「災害被害を少しでも軽減したい。地元だからかなあ。特に強く思う」とほがらかに笑う。

 南海トラフ巨大地震や相次ぐ豪雨災害を懸案事項に挙げる。具体策として、警報などの防災情報をできるだけ早期に発表して自助に活用してもらうことや、県や市町村との連携強化を目指している。そのため就任早々、県内各地の自治体を精力的に回っている。

 国鉄の分割民営化に伴い、車掌から気象庁職員に転職したという異色の経歴を持つ。転職後すぐは気象に関する知識が乏しく「負い目を感じていた」。周囲に追い付けるよう、先輩の仕事を小まめに観察して学んだ。

 キャリアの振り出しは、今はない剣山測候所。気温や気圧、風速などの観測業務を主に行った。山頂に1週間連続で滞在した後、2、3日休むという過酷な業務だったが「山が好きだったので全然苦じゃなかった。天気図の書き方や予報の基礎知識など、多くのことを学ばせてもらった」と振り返る。

 その後は主に近畿、中四国の気象台に勤め、防災や観測、予報の業務などに従事した。松山地方気象台の予報官時代には、梅雨期に複雑な風や雲の流れを分析して前線の停滞による集中豪雨をいち早く予測。行政などに警戒を呼び掛け、被害軽減に一役買った。

 趣味は登山とドライブ。徳島での勤務が決まった後、剣山に登るのをずっと楽しみにしていた。「剣山は自分の原点で、家に帰るようなもの。久しぶりに頂上ヒュッテの新居綱男さんらと会って談笑したい」。徳島市の公舎で妻と2人暮らし。59歳。