国登録記念物に登録される「沖洲蛭子神社百度石」。安政南海地震の教訓を伝えている=徳島市南沖洲1

 文化審議会は16日、過去の南海地震を記録した徳島県内の地震津波碑19基を国登録記念物に登録するよう、松野博一文部科学相に答申した。地震と津波の発生当時の様子や、後世に向けた先人の教訓を伝えている点が評価された。県教委によると、地震・津波に関連する国記念物の登録は全国初。県関係では、国内最大級の中世館跡として知られる国史跡「勝瑞城館跡」(藍住町勝瑞)の一部を、国史跡に追加指定することも答申された。

 国登録記念物となる石碑の所在地は海陽町が最多の7基で、牟岐町4基、阿南市3基、美波町2基、徳島、小松島両市と那賀町が各1基となっている。年代別では安政南海地震(1854年)が13基で最も多く、昭和南海地震(1946年)が5基、宝永南海地震(1707年)が1基。

 宝永地震の5年後に建てられた海陽町浅川の「浅川観音庵地蔵尊台石」(高さ57・5センチ、幅・奥行き60センチ)は、建立年代が確認できる県内最古の地震津波碑。地蔵の台座に「高さ約9メートルの津波が来て140人余りの死者が出た」などと刻まれている。

 安政地震の7年後に建てられた徳島市南沖洲1の「沖洲蛭子(えびす)神社百度石」(高さ124センチ、幅・奥行き27センチ)は、地震後に同市内で民家や蔵を焼く火災が発生したことを記し、地震の際は落ち着いて火の始末をするよう訴えている。

 阿南市福井町の「福井住吉神社海嘯潮痕標石(かいしょうちょうこんひょうせき)」(高さ163センチ、幅62センチ、奥行き21センチ)は昭和南海地震の2年後に建立。津波の第1波が神社石段の6段目、第2波が10段目に達し、第2波の方が大きい場合があることを示している。

 県教委は昭和南海地震発生から70年の昨年度、地震津波碑を貴重な文化財として保護し、防災意識向上に役立てようと、8市町に残る室町期~2004年に建てられた39基を調査。町文化財に既に指定済みの碑や、建立50年未満の碑を除いた19基を一括して文化庁に登録申請していた。

 国史跡に追加指定されるのは、勝瑞館跡と勝瑞城跡、正貴寺(しょうきじ)跡から成る勝瑞城館跡のうち、勝瑞城跡を囲む濠(ほり)の南側の私有地298・42平方メートル。一帯が濠の外縁部分だったことが、明治期の地籍図で確認された。今回の追加で、指定面積は5万8799・4平方メートルになる。