「効率」という言葉が、どうも好きになれない。傍らには、往々にして「排除」が控えている。「無駄」をなくせと言う。でも、無駄とは何なのか。本当にそぎ落としていいものか。

 ある人にとってはそうであっても、別の人にとってはそうでない。無駄とはそういうものだ。しかし少なくとも現代にあって、「効率」の中心にはお金が居座っている。

 お金の視点から見れば、無駄は簡単に定義できる。つまりはお金にならないことである。グローバル化が進展し、格差の広がる社会で、拝金主義が何の恥じらいもなく力を持ち始めた。

 例えば、アメリカの現状を見ればいい。そのリーダーの信念は自国第一主義。果ては再選第一主義に行き着く。ひと昔前なら誰も聞く耳を持たなかった極端な主張が、超大国で公然と語られる。21世紀は、暴走の世紀である。

 相模原市の知的障害者施設で起きた殺傷事件は、こうしたことと決して無縁ではないと思う。公判でも、被告は一貫して障害者の存在を否定する発言を続けた。

 なぜか。分かったふうな解釈を連ねるより、重度障害者でもある木村英子参院議員の問いに、どう答えるか。そちらの方が、はるかに核心に迫れるような気がする。「障害のある子どもが生まれた時、素直に『おめでとう』と言える社会になっているか、想像してみてほしい」。