美馬市脇町北庄の土地家屋調査士井村修子(のぶこ)さん(57)の手元に以前からあった一枚の写真で、北海道旭川市に渡った井村さんの祖先と一緒に写っている人物が、約100年前にアイヌ文化を伝承する博物館を創設したアイヌ民族のリーダー、川村イタキシロマ首長と分かった。関係者によると、当時のアイヌ民族と本州以南から訪れた人が一緒に収まった写真は珍しく、貴重だという。
美馬市脇町北庄の土地家屋調査士井村修子さん(57)の手元に以前からあった一枚の写真で、北海道旭川市に渡った井村さんの祖先と一緒に写っている人物が、約100年前にアイヌ文化を伝承する博物館を創設したアイヌ民族のリーダー、川村イタキシロマ首長と分かった。関係者によると、当時のアイヌ民族と本州以南から訪れた人が一緒に収まった写真は珍しく、貴重だという。
井村さんの美馬市脇町の実家には、アイヌ民族らしき2人を含む5人の写った写真が以前からあった。井村さんが2015年に伯母の河野治子さん=16年6月に死去、享年(92)=らに尋ねると、後方の3人は井村さんの曽祖父で元脇町議の河野通雄さん、通雄さんの弟の長尾正通さん、長尾さんの三男直行さんと分かった。
親族の話によると、長尾さんは1878(明治11)年、脇町生まれ。旭川に移住した時期は不明だが、治子さんは生前、「長尾さんは国か県の命令で開拓移民を北海道に引率する役目を受けて現地に渡った」と話していたという。
写真は通雄さんが長尾さんの元を訪れた際に撮ったと伝えられていたが、アイヌ民族とみられる2人の素性は分かっていなかった。
徳島新聞が、アイヌ文化の伝承などを行う民営資料館「川村カ子(ね)トアイヌ記念館」(旭川市)の川村久恵副館長(45)に写真を見てもらったところ、2人は、副館長の夫の祖父に当たるイタキシロマ首長と妻アベナンカさんと判明。背景のササぶきの建物は「チセ」と呼ばれる伝統家屋で、1916年にイタキシロマ首長が創設したアイヌ文化博物館(後に川村カ子トアイヌ記念館に改称)だった。
副館長によると、イタキシロマ首長は江戸末期から明治期にかけて旭川に50世帯ほどあったアイヌ民族を束ねていた。当時、アイヌ民族は松前藩(現青森県)によって石狩地方や色丹島などで強制労働をさせられていたが、イタキシロマ首長が函館奉行に訴え、強制労働をやめさせたこともあったという。
写真で夫妻が着用しているのは儀式用の衣装。服装や草履から、比較的温暖な季節とみられる。撮影年は不明だが、直行さんは27年生まれで、イタキシロマ首長は43年に亡くなっている。
川村副館長は「旭川にもこのような写真はあまり残ってないので大切にしてもらいたい」と話す。井村さんは「正通さんが旭川でどういう暮らしをしていたのか知りたい。アイヌ民族のことも調べてみたい」と感慨深そうに写真を見つめた。