父の虐待の末に死亡した千葉県野田市の小学4年、栗原心愛さんは、周囲の大人に救いを求めていた。学校に通う10歳の女児であり、乳幼児の虐待事件とは様相が異なる。

 傷害致死罪などに問われた父、勇一郎被告(42)の裁判員裁判が始まった。SOSが発信されながら、なぜ最悪の結末を回避できなかったのか。事件の真相に迫ることで、虐待死を防ぐ糸口を見つけなければならない。

 心愛さんは、学校のアンケートで「お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」と訴えた。市教委はそのコピーを張本人の勇一郎被告に渡し、逆に心愛さんを追い詰める。「毎日が地獄」と母親に訴えても、暴力で抑圧された母は、夫に一言も言えなかった。

 初公判で検察側は、心愛さんが書いたとみられる「反省の手紙」を読み上げた。自宅で押収したという。「今日は申し訳ありませんでした。これからお手伝いをします。パパとママの言うことを聞きます」などと記されていた。

 父親が「しつけ」と称して子どもを痛めつけ、絶対服従を強いる。母親も無力となり、父に同調する。まさに「密室の暴君」だ。東京都目黒区で起きた船戸結愛ちゃん虐待死事件と、極めて構図が似ている。

 心愛さんの両親は沖縄県で、結愛ちゃんの両親は香川県で出会った。地方に暮らしていた段階で地元の児童相談所は異常に気付いたが、情報を十分に生かせなかった。

 両事件には、もう一つの共通点がある。愛する孫の死を食い止められなかった祖父母の悔恨だ。

 心愛さんを保護した千葉県の柏児童相談所は、2017年と18年の2回、父方の祖父母宅で暮らすことなどを条件に一時保護を解除した。孫を迎え入れた日常の中で、祖父母は何を感じ、事態をどう受け止めていたのか。

 亡くなる3カ月前、心愛さんは自分宛ての手紙を書いた。祖父母宅から通学していた時期である。「未来のあなたを見たいです。あきらめないでください」。自分を励ます前向きな内容だ。

 いとこと遊んだり、祖母からケーキ作りを教えてもらって大喜びしたり、安息の日々を送っていたように見える。しかし、勇一郎被告によって自宅に連れ戻され、それから3週間後に悲劇は起きた。

 祖父は「息子が虐待していると考えたくなかった。甘い認識で助けてやれなかった」と証言した。手紙を公開した祖母は「分かってやれず、申し訳ない」と悔いた。

 結愛ちゃんの祖父も、異常に気付いてやれなかった、と法廷で泣いた。両事件とも、祖父母宅での暮らしが続いていれば、最悪の事態は避けられた可能性がある。

 児相と祖父母の間に何らかの連携が必要だったのではないだろうか。祖父母の役割を見直すことが、両事件の教訓の一つである。