被災地で開かれている子育て支援講座。震災直後、妊婦や乳幼児連れの母親は過酷な状況に置かれた=2014年2月、岩手県大船渡市(いわて子育てネット提供)

 「たくさんの人が出入りする大部屋にいて、2カ月の子どもが踏まれないかと不安だった」「近所でミルクやおむつを調達できず、青森まで買いに行った」。岩手県で母子支援に取り組むNPO法人いわて子育てネット(盛岡市)には、幼い子どもを抱えて被災した母親たちの切実な声が寄せられている。

 わが子を守りたい一心で大津波から逃げ延びた彼女たちが、「助かった」と安堵(あんど)したのもつかの間。大勢の人々がすし詰めとなった避難所は、母子にとって決して居心地の良い場所ではなかった。

 子どもを遊ばせたり授乳したりするスペースはおろか、プライバシーの確保すら難しい中での集団生活。余震や長引く避難生活のストレスもあって周囲の目は厳しく、「うるさい。子どもを黙らせろ」と怒鳴り声を上げる人もいた。子育てネットの両川いずみ副理事長は「迷惑になることを恐れて室内で過ごせず、寒い屋外や車中で過ごすお母さんが多かった」と話す。

 さらに同団体が実施したアンケートによると、「震災時、子どもに関して最も困ったことは何か」との質問に「おむつや着替えの不足」と「ミルクなど食料の不足」と答えた人は合わせて110人で、全体(258人)の4割以上を占めた。「クッキングペーパーをおむつ代わりにしていた」「食べ物がなくて母乳が出ず、粉ミルクをいつもの何倍にも薄めて飲ませた」などの声もあり、赤ちゃんや授乳中の母親に関わる物資が不十分だった状況がうかがえる。

 同県内の助産師らでつくる母子支援団体「まんまるママいわて」(花巻市)の佐藤美代子代表は「体力も抵抗力も弱い赤ちゃんにとって、栄養、衛生状態の悪化は命に関わる」と指摘する。「備蓄されていた粉ミルクや離乳食などの物資は少な過ぎた」とも語り、個人レベルでの備えと行政の手厚い配備の必要性を強調した。

 母子が苦境に立たされる一方で、おなかに赤ちゃんのいる「未来の母親」たちもまた、困難を抱えていた。

 まんまるママの佐々木一愛(かずい)副代表は震災時妊娠6カ月。家族と大槌町の大槌高校で避難生活を送ったが「ショックで妊娠後初めておなかが張った。妊婦健診が受けられるか気になったけど、みんなが大変な中、病気でもないので口に出せなかった」と振り返る。

 特におなかの膨らみが目立たない初期のころなど、一見して妊婦と分からない女性たちは妊娠していることを言い出せず、必要な支援が受けられないケースが少なくなかった。

 しかし、災害時の大きなストレスや栄養不足による体力低下は、早産・流産のリスクを高める恐れがある。被災した妊婦を内陸部で受け入れる活動に取り組んだ佐藤代表は「妊産婦専用の福祉避難所を開設し、平時でさえ大変な妊婦を支援していくべきだ」と話す。

 震災で助かった母子や妊婦が、その後の生活で健康や命を脅かされかねない危険にさらされた現実。徳島でも関係機関の対策が急がれる。(2015年9月29日 徳島新聞掲載)=肩書きは当時