淡路関空ラインの高速船「まりーんふらわあ2」=洲本港

架橋により本州と淡路島、四国が陸続きとなったあおりを食ったのがフェリーや高速船だった。多くの航路が乗客や貨物を奪われて次々と姿を消した。

四国運輸局によると、明石架橋前には徳島-阪神間で9航路、徳島-和歌山間で3航路、淡路島-阪神間で12航路が運航されていたが、最近は徳島と和歌山を結ぶ南海フェリーと、淡路ジェノバライン(淡路市)が明石海峡の明石-岩屋間で運航する高速船の2航路を残すのみとなっていた。

 

ところが昨年、にわかに潮目が変わった。7月に関西国際空港と淡路島の洲本港を結ぶ「淡路関空ライン」(1日5往復)が就航。同航路の復活は10年ぶりだった。同6~9月には社会実験として洲本港と大阪府岬町の深日(ふけ)港をつなぐ高速船「深日洲本ライナー」(4往復)が運航した。

航路復活の動きが活発になっている背景には、インバウンド(訪日外国人旅行者)の急増がある。関空が格安航空会社(LCC)の国際路線を拡大させたことも手伝って、淡路島を中心に瀬戸内地域にインバウンド誘致を目指した航路開設の機運が盛り上がった。

淡路島の観光事業者は、15年に「瀬戸内海島めぐり協会」を結成した。インバウンド誘致策として航路復活が持ち上がり、その流れの中で淡路ジェノバラインが保有する高速船「まりーんふらわあ2」(定員217人)の活用と、同社の子会社「淡路関空ライン」の設立が決まり、就航にこぎつけた。高速バスをしのぐ片道65分の早さと船旅の魅力をアピールしている。

まだまだ認知度が低いこともあって初年度の乗客数は1万5千人。1便当たりでは5人と採算ラインにはほど遠い。それでも小規模旅行業者をターゲットに韓国や台湾、インドへと足を運んで営業を続けており、徐々に問い合わせが増えてきている。

宮本肇副社長は「観光や宿泊プランもセットで提案してきたのがよかった。大阪や京都に対抗するためできることはなんでもやる」と力を込める。

一方、洲本-深日間の航路再開を目指したのは、淡路島側ではなく大阪の岬町だった。淡路、徳島の双方と航路で結ばれ、交通の要衝として栄えた頃のにぎわいを取り戻そうと、町などが14年に需要予測調査を実施。国の交付金を活用し、17年の社会実験にこぎつけた。

定員68人の高速船は片道1500円と料金を抑えたこともあって、3カ月間で約1万600人が乗船。車だと3時間半かかる場所に、55分で行ける手軽さも受けた。インバウンドの利用は低調だったが、淡路島を自転車で走るサイクリストから人気を集め、運航期間中に自転車用のラック11台分を設置した。現在は運航していないが、社会実験は本年度も行う予定で、引き続き需要の掘り起こしを目指す。

海路は防災面からも、南海トラフ巨大地震発生時の交通手段として注目されている。港からの移動手段確保など、課題も多いが、地域の期待を背負い、橋とは違う道を切り開こうとしている。