ダイエー戦で指揮を執る日本ハムの上田利治監督=1996年9月、東京ドーム

 上田利治さんの死去を受け、親交のあった徳島県出身のプロ野球OBらも、名将をしのび、冥福を祈った。

 「ショックで寂しい」。中日などで日米通算125勝を挙げた元投手の川上憲伸さん(42)=徳島市出身=は訃報に心を痛めた。

 20年ほど前から上田さんとたびたび食事するなど交流があり「投球で悩んだ時に相談に乗ってもらい、気が楽になったこともある」。監督時代、喜怒哀楽を表に出す上田さんの姿は、闘志を前面に出した自身のプレースタイルにも生かされたといい「何らかの形で、熱い思いを継いでいきたい」と誓った。

 元巨人投手の水野雄仁さん(51)=阿南市出身=は「会うと『頑張れよ』と必ず声を掛けてくれた。大きな存在がいなくなった」と悼んだ。

 「監督に就任した直後から、ボールの入ったかごを山積みにしてノックなどをしていた姿が印象に残っている」と話すのは、徳島市出身で元日本ハム外野手の大貝恭史さん(45)=高松市、会社員。5年間、上田さんの薫陶を受けた。「2軍でいた時も『頑張っていれば必ずチャンスはある』と声を掛けてくれた。もっと指導していたかったはず」と語った。

 鳴門工業高(現鳴門渦潮高)前監督で早稲田大野球部監督の高橋広さん(62)は、妻が旧宍喰町出身だった縁で長年親交があった。鳴門工業高30周年の記念講演に上田さんを招き、謝礼を渡そうとすると「野球のために使ってくれ」と固辞されたことをよく覚えている。「人を育てることに心血を注いだ人柄を垣間見た」と懐かしんだ。

 海南高(現海部高)野球部で上田さんの後輩に当たるプロゴルファー尾崎将司さん(70)=旧宍喰町出身=は「実家は上田家と50メートルしか離れておらず、いつも身近な存在だった。優しい方で大変応援してくれた。本当に残念。安らかにお眠りください」と話した。