相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者ら45人が殺傷された事件の裁判員裁判で、横浜地裁は殺人などの罪に問われた元職員植松聖被告に死刑判決を言い渡した。

 判決では、事件当時の被告の刑事責任能力を認め、大麻による精神障害で心神喪失状態だったとして無罪とする弁護側の主張を退けた。

 19人殺害という事件の重大さ、「精神障害ではなく、人格の偏りにすぎない」との精神鑑定結果から、制度としてある以上、死刑は不可避だったと言える。

 被告は反省の色を見せることもなく、事件を正当化する主張を繰り返した。遺族らの怒り、悔しさ、むなしさを思うといたたまれない。

 17日間の公判で明らかになったのは、動機の強固さだ。被告は「意思疎通できない人は死ねばいい」「(殺害したのは)社会の役に立つと思ったから」と、障害者の存在価値を否定する発言に終始した。

 やまゆり園の職員として採用された際に「明るくて意欲的」と評価された被告はいつ、なぜ、過激な差別意識を持つようになったのか。その解明が公判では注目された。

 被告は検察官から、園で働く中で驚いたことを聞かれ、他の職員の言動を挙げた。入所者への命令口調や、流動食を無理に口に流し込むのを目にしたとし「人として扱っていないと思った」と述べている。2、3年すると被告自身も障害者を人間でないと思うようになり、入所者の鼻先を小突くようになったという。

 事件につながる大きなポイントだったが、掘り下げられることはなかった。

 被告に対し、生い立ちなどに関する質問もほぼなかった。検察、弁護側とも被告の生育歴、家庭環境を詳細には述べず、両親への尋問も行われなかった。

 裁判は動機を解明して事件の再発を防ぐ責務も担う。だが、動機の根源や形成過程の真相究明は不十分だったと言わざるを得ない。

 被告は控訴しない意向を示している。上級審での追及がないとなれば、遺族にも釈然としない思いが残ろう。

 事件後、ネット上では被告を擁護する書き込みであふれた。公判中も「(事件後は)重度障害者との共生社会に傾いてしまった。(共生は)『やっぱり無理』となってほしい」といった被告の発言に賛同する書き込みが見られた。

 旧優生保護法の下で、障害を理由に行われてきた強制不妊手術が禁止されたのは1996年。二十数年前まで能力で命を選別していた。こうした優生思想と、もはや無縁の社会になったと言えるのか。

 今回の裁判では、遺族らの多くが匿名での審理を求めた。差別や偏見を懸念してのことだ。障害者への差別がいまも根深く存在していることを示している。

 真の共生社会とは何か。この裁判が私たちに突き付けた問いである。