「それぞれの家族の専属写真家になりたい」と話す立木恵美子社長(左)=2003年、徳島市仲之町1の立木写真舘スタジオ

 「枠にはまらない」「突拍子もない」「個性的」。1883(明治16)年に創業した徳島市仲之町一の立木写真舘の歴代社長はこう評されてきた。4代目・立木恵美子社長(69)は「これが立木家の家風でもある」と言う。

 江戸時代、徳島藩主・蜂須賀家のお抱え医師(典医)だった立木家。写真館創業者・信造氏の兄も典医で、幕末に長崎で日本の写真術の創始者と出会っている。 写真は「バテレンの魔法」「撮影されると寿命が縮まる」といわれていた時代。一般化していない先端技術だった写真と信造氏を結びつけたのは、写真術を知った兄の影響と推測されている。

 信造氏は写真館経営に加え、駆虫剤を作り、中国、九州地方で販売するなど事業意欲のおうせいな人だった。2代目・真一氏は市議や県議になり、政治の世界に傾注したが、立木家の事業家の血は、絶えることはなかった。

 NHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」のモデルになった香都子氏は真一氏の2女。夫・真六郎氏とともに、1945(昭和20)年の徳島大空襲で焼失してしまった写真館を名実ともに再興する。

 社員の誰でもが和装を格調高く写せるためのマニュアルを作ったり、写真館を株式会社化したり・・・。洋画家・伊原宇三郎氏ら文化人も立ち寄る「立木サロン」としてにぎわいをみせたのもこのころだ。

 さらに、恵美子社長の夫・利治氏は「家業」の域を出なかった写真館に、本格的に「経営」を導入した。婚礼写真のほか、学校の卒業アルバム、家族の記念写真など部門ごとの売り上げを考えながら事業を展開。

 営業写真家として新技術の研究にも力を入れた。全国の写真家らでつくる「印画紙研究会」に創設時からかかわり、白黒の印画紙の品質などをフィルムメーカーに提言。従来は結婚式当日に撮っていた婚礼写真を、事前に撮影する「前写し」のシステムを考案した。

 今もシャッターを押し続ける恵美子社長は「長い時を越えて思い出を残す一枚の写真は、家族の宝物になる。それぞれの家族の専属写真家となり、節目節目の出来事を記録していくのが私たちの使命」と話す。 デジタル技術の躍進など、写真館を取り巻く環境は大きく変わりつつあるが、立木家の写真への熱い思いは、これからも受け継がれていく。

<立木写真舘>1963年、株式会社化。資本金1000万円。従業員20人。

(2003年6月15日徳島新聞朝刊掲載)