25年前、オウム真理教による地下鉄サリン事件は、東京・霞が関に通じる地下鉄3路線で起きた。6千人を超える被害者の大半は、月曜朝の出勤を急ぐ勤労者だった。

 重い後遺症を負った浅川幸子さん(56)が10日、サリン中毒による低酸素脳症で亡くなり、死者は14人となった。ご本人と家族が歩んだ苦難の日々を思うと、胸が締め付けられる。

 一昨年7月、教祖松本智津夫元死刑囚ら教団幹部13人の死刑が執行されたが、サリン被害は今も続いている。

 なぜ起きたのか。同様の事件が再び起きる恐れはないのか。事件を忘れず、教訓を読み取ることが、犠牲者の無念に報いる道である。

 犯行の動機は「捜査のかく乱」だった。教団側は、警視庁の捜査が間近に迫っているとの正確な情報を入手していた。霞が関周辺に打撃を加えようとしたのは、警視庁の捜査の動きを止めるためだ。

 一方、警察当局はオウムの切迫した動きをつかめていなかった。「情報戦」で負けていたのだ。事件を未然に防げなかった大きな要因である。不意を突かれ、首都中枢は大混乱に陥った。

 前年6月に長野県で8人が死亡する松本サリン事件が起きていた。その後の極秘捜査で、山梨県の教団本拠地の土壌から、サリン生成の残留物質が検出される。

 サリンとオウムが一本の線でつながった。松本事件でオウムの疑いが強まったのなら、再びサリンを使用するかもしれないとの危機感を持つべきだった。捜査当局だけでなく、当時、報道に携わった者の反省でもある。

 3年前の「共謀罪」法案論議の際、政府はオウム真理教を例に導入の必要を説いた。しかし、オウムの暴走を許したのは、法整備の不十分さではない。「宗教弾圧」との批判を恐れ、強制捜査や追及報道に及び腰だったためだ。

 根底に「まさか宗教団体が」という甘い認識があった。社会の平和を守るべき人々の教訓は、そこにある。

 坂本堤弁護士一家殺害など、サリン事件の前から教団への疑惑は強まっていた。信者の行方不明など、摘発の糸口になる事件もあった。家族や支援弁護士の声に応え、地道な捜査を積み重ねていれば、その後の悲劇は防げた可能性が大きい。

 地下鉄事件の2日後に警視庁の大捜査が始まると、JR新宿駅で青酸ガスが噴出、都庁では小包が爆発するなど、教団による無差別テロが相次いだ。駅や街角からごみ箱が撤去され、社会の緊張が高まった。1月に起きた阪神大震災の爪痕も深く、日本は先行き不安に包まれた。

 新型コロナウイルス感染におびえる今の世相とも相通じる。最悪の事態を想定し、回避の一手を講じるのは難しい。しかし、希望的観測で着手の時機を逸すれば、取り返しのつかない悲劇を生む。事件が残した重い教訓である。