土石流で家屋が倒壊した対岸へロープを渡し、行方不明者の捜索に向かう福岡県警の警察官=同県朝倉市杷木星丸

土石や流木を含んだ濁流が、平穏な日常を根こそぎ押し流した。5日から九州北部を襲った豪雨。氾濫した川の水は猛烈な勢いで集落に押し寄せ、人々の家を、道路を、暮らしを奪った。甚大な被害に見舞われ、10人の犠牲者が確認された福岡県朝倉市に7日、徳島新聞記者が入った。

 朝倉市杷木(はき)地区はナシ畑や水田が広がり、民家が点在する田園地帯だ。そんなのどかな風景が、一夜にして一変した。赤谷川の両岸には大量の泥土が堆積し、広大な中州のようになっていた。野球ボールに洗剤容器、炊飯器のふたなどが泥の上に散乱し、前日までそこには人々の暮らしがあったことを物語る。

 橋付近には大量の倒木やがれきが滞留していた。大きな山のような残骸の前には、シャベルや電動のこぎりを持った警察官の姿。丸太を切ったり土砂をかき出したりし、懸命に不明者捜索に当たっていた。

 「昨日から作業している。上流からだいぶ家が流されて、いなくなった人がいますから」。近くに住む井上末喜(すえき)さん(67)は轟々(ごうごう)と音を立てる濁流に目をやり、顔を曇らせた。

 赤谷川の上流を目指し、アスファルトがえぐられて泥にまみれた道を川に沿って進む。

 住居部分が完全に押しつぶされ、屋根だけが原型をとどめた木造家屋の前に、本松隆之さん(46)=新聞販売店経営=が立ち尽くしていた。土石流が家を襲ったのは5日午後6時ごろ。「家の前で水門を調節していたら、あっという間に家が傾いてつぶれた。何が何だか分からない」。中にいた母親は肩を脱臼したが、車も押しつぶされたため移動手段がない。なかなか来ない救急車を1時間以上待った。

 ぬかるみに足を取られながらさらに上流へ進むと、松末(ますえ)小学校にたどり着いた。校舎の1階は天井まで土砂で埋まり、土が堆積した校庭の鉄棒はわずか10センチほどしか頭を見せていない。「朝倉市指定避難場所」だったはずの学校さえも土石流に見舞われ、避難住民はヘリで移送された。

 少し高台にある保育所で、90代の母親と不安な一夜を過ごした中嶋員博(かずひろ)さん(67)は「全く何も見えないくらいの雨で、すぐ後ろの山が崩れた音も聞こえなかった。そりゃあ恐ろしかった」と顔をこわばらせた。7日にようやく戻れた自宅は天井まで泥が侵入し、入れる状態ではなかった。

 壊滅状態の集落ではまだ行方が分からない人も。杷木に実家があり、急いで駆け付けた福岡市の看護師の女性(37)は「母と連絡が取れない」と目を腫らしていた。母親がいた実家の1階は土石流でつぶれ、流された。直前まで知人と電話をしており、「水が・・・」との言葉を最後に通話は切れたと聞いた。

 「病気一つせず元気な母だったのに、こんなことになるなんて。あすもまた雨が降る。きょう中に見つけてもらわないと」。連絡用の携帯電話を、ぎゅっと握り締めた。(徳島新聞=乾栄里子、岡山愛子)