人や車の往来が激減し、ゴーストタウン化した街並み=1月30日、北京

越智幹文氏

 全世界で今、新型コロナウイルスの終息に向けた闘いが続いている。その始まりの地、中国ではこの間、どんな対策が取られてきたのか。国際協力銀行北京駐在員事務所の越智幹文首席駐在員(52)=徳島市出身=に6回に分けて寄稿してもらった。

 「明日からの出張を延期させてください」

 武漢の関係先に連絡したのは、1月11日朝だった。翌日から出張者と事務所の混成チームを武漢に派遣し、現地関係先と意見交換する予定だった。新型コロナウイルスの話も耳にしていた。「気持ち悪いな」という思いはありつつも出張命令を出していた。

 その朝、武漢で初の死者が出たとのニュースが入った。部下を危険な目に遭わせられないと、出張延期を決断した。その死者が世界中で約4万2000人(1日時点)になる感染症死亡者の第1号になるとは夢にも思わなかった。

 先方からは「武漢の街は平穏だ。日常生活は全く問題ない」「コロナと言っても例の海鮮市場関係者だけ。市政府はヒト・ヒト感染の証拠はないと言っている」「今日亡くなった方はがんだったようだ」と武漢は安全だというせりふが異口同音に飛び出し、こちらは平謝りした。その時点の空気としては、出張延期はあまりにも堅いという感覚だったのだろう。

 武漢は中国の中心に位置する湖北省の省都で、人口1100万人。北京から香港へと続く鉄道と道路の大動脈である京広線と、上海から重慶などの内陸に連なる長江水運の結節点で、古くから交通の要衝だった。三国志で有名な赤壁の古戦場もある。

 19世紀後半、内陸の開港都市として列強の租借地が置かれ、20世紀初頭は「東洋のシカゴ」と呼ばれるほど重工業化が進んだ。中華人民共和国設立後は戦略的に軍需工場などが配置され、引き続き発展した。

 現代でもホンダや日産が大規模な合弁事業を展開。メガバンクも2行が支店を構え、イオンモールは市内5カ所で店舗展開、日系航空会社の直行便が毎日就航している。武漢天河国際空港は日本からの円借款で建設・整備され、中国の都市の中でも「日本」とのつながりが強い街だ。

 しばらくは平穏な日が続いた。1月24日からの旧正月を前に北京市内のレストランは忘年会でにぎわい、年末の雰囲気が街を覆っていた。状況が変わったのは20日に習近平国家主席が「全力を挙げて新型肺炎を抑え込む」と宣言した時からだ。スイッチが入ったように、現地の報道も新型肺炎関係が目に見えて増え、街も緊張感を増した。

 連休直前の23日、日本大使館から在北京日本商工組織の幹部に緊急招集がかかった。参加者は最初、和やかな雰囲気で雑談していた。しかし、プレゼンターとして登壇した領事部長の表情が明らかにいつもと違うのに気付き、ただ事ではないと身構えた。

 冒頭、「本日午前10時に武漢は封鎖された。武漢への鉄道・航空便は全てキャンセル。駅・空港、高速道路、一般道も封鎖。今、武漢にいる人は市外に出ることはできないし、今から入ることもできない」とあった。非現実的な話に頭が真っ白になった。そこまでの対応が必要だという、コロナウイルスへの不安と恐怖が湧き上がってきた。

 その後、重篤化の可能性、死亡事例の詳細、感染予防策、日本政府と中国側の対応の説明が続く。不要不急の移動制限、当地での生活にも制限がかかる…。その時点で承知はしたものの、身近なこととは思わなかった。

 おち・もとふみ 1968年生まれ、徳島市出身。城ノ内高、神戸大経営学部卒。1990年日本長期信用銀行入行、2001年から国際協力銀行。1995年に北京外国語大学で中国語研修を受けて以降、中国駐在として上海(97~2000年)、北京(08~12年、および現在)で計約12年にわたって赴任。16年6月から現職。