邦人を乗せて中国・武漢から到着した日本政府の全日空チャーター機=1月29日、羽田空港(共同)

 大使館で武漢封鎖の説明を聞いた後、事務所に戻ってどうするべきか考えていた。すると、テレビから「人民が一致団結して、新型肺炎との戦争に最終的に勝利する」との、習近平国家主席による重要講話が出たとの報道が流れた。戦争というからには、敵味方双方に戦死者・戦傷者が出るということだし、戒厳令の布告も十分あり得る。「これは大変だ」と実感した。

 東京の本店に連絡して情報を共有するとともに、私が安全と健康に責任を負うべき職員全員の旧正月の移動予定と、滞在先情報を把握した。「ここは戦場だ」となると、戦場に一般市民は置いておけない。職員は可能な限り、安全な所に移動させるのが鉄則だと判断し、早期に行動に移すべきだと本店に進言した。

 旧正月。いつもは深夜遅くまで爆竹や花火が鳴り響き、夜が明けると寺社の前で縁日が立って盛り上がる。ところが今年は様子が違った。

 正月2日目くらいから、政府発のメッセージがスマートフォンにあふれるように入ってくる。各地の省市から感染者、重症者、死亡者の数字が数時間おきに知らされる。北京の数字が伸びていくのを見ると、目に見えないウイルスという「敵」が身近に迫っているのを実感する。街ではまず、地下鉄の入り口から検温を導入。ショッピングモールなどの入り口も閉められた。休日返上で他社の駐在員仲間に連絡を取って状況を聞くと、皆、大いに迷っていた。

 1月29日、日本政府によるチャーター機の第1便が武漢を飛び立って羽田に到着した。北京の比ではない緊張感が漂う封鎖都市で恐怖に震えていた在留邦人にとって、見慣れた日系エアラインの機体を見た時の気持ちは想像に余りある。

 多くの大使館職員らは、チャーター便関係の事務を不眠不休でこなした。具体的には、対象邦人の所在確認や空港までの移動手段の調整、中国側との交渉などだ。一部外交官は感染リスクを覚悟し、北京から乗り込んできて対応した。

 この時期、「山川異域 風月同天(国土は違えども風や月に国境はない)」という漢詩を添えた大量の防疫物資が日本から武漢に届き、中国側から感激、感謝されたと話題になった。最終的に計5便の特別チャーター機で約800人の帰国が実現。帰国後に感染者は出たものの、もし武漢で発症していれば、医療崩壊が発生している地で、どうなっていたかは分からなかった。

 休み明けの営業日は2月3日で、多くの企業は休業を指示されている。しかし決済業務を扱う銀行は例外だ。書き入れ時だった旧正月期間に経済活動がほとんど止まっていたのもあり、個別企業の資金繰り状況や金融システムへの影響など休み明けの動きが注目された。現地職員には全員在宅勤務を指示し、事務所を開けることにした。(越智幹文・国際協力銀行北京駐在員事務所首席駐在員=徳島市出身)