仲間と共に面白い街の実現を目指す内藤さん(中央)=徳島市の新町川水際公園

 数年前の正月、内藤佐和子さん(30)は東京から古里の徳島市に帰省し、高校の同窓会に出席した。その際、ちょっとした出来事、いや、内藤さんにとっては一大事があった。

 「プリクラが撮れなかったんです」

 プリクラとは「プリント倶楽部(くらぶ)」に代表される写真シール作製機の通称。1995年に誕生し、一大ブームを巻き起こした。

 内藤さんは当時10代。「私たちはプリクラとともに成長した世代」。高校時代は東新町だけで2カ所は撮れる場所があった。「同窓会のときにプリクラを撮れない街って、私たち世代はどう思うだろうか。Uターンしたくないと感じると思う」。このときの経験が、その後の活動の原点となった。

 内藤さんは自伝「難病東大生」を2009年に出版した。東京大学在学中の04年、まだ根本的な治療法のない難病・多発性硬化症と診断された。進行すれば、歩行困難や視覚障害などを引き起こす。弁護士になる目標をあきらめ、悲しみに暮れた時期もあった。しかし、この境遇を前向きにとらえ、「私にしかできないことを今やろう」と、学外での活動などに積極的に挑むようになった。

 09年、東京で暮らす徳島出身の学生らと徳島活性化委員会を結成し、全国の大学生が徳島の活性化プランを競うビジネスコンテストを2年連続で開いた。たらいうどんに「運命の赤い糸」に見立てたピンクのうどんを一本だけ交ぜ、恋愛成就のうどんとして売り出すプランなど、コンテストの中から実現した例もある。しばらく中断していたが、今年、4年ぶりに開く。

 活性化委員会はその後も、若い感性で次々と企画を打ち出した。09年12月には携帯型ゲーム機・人気ソフトの「すれ違い通信」機能を生かしたイベントを徳島市中心部の商店街で行った。イベントは話題を呼び、情報通信大手・ヤフーのニュースでも配信された。

 今、活動の柱の一つになっているのが選挙での若者投票率向上キャンペーン。12年12月の衆院選から始めた。投票者への飲食店割引サービスや投票率予想など、アイデアを凝らした。「徳島県は地方債の発行に総務相の許可が必要な起債許可団体になっているけど、多くの若者は知らない。自分たちや子どもたちのためにも声を届けないと」と話す。

 住んでいる街を面白くしたい-。この思いで内藤さんは活動し、企画ごとに仲間を募る。投票率キャンペーンに関わった学生らは「議論だけでなく、行動する楽しさを知った」「魅力的な街の実現は、自分自身が面白い活動をしていると実感することから始まる」と感想を語る。それぞれに気づきがあった。

 時間の経過とともに活性化委員会の活動も幅が広がった。ドメスティックバイオレンス(DV)の相談電話を周知するため、各種施設の女子トイレにステッカーを貼ればどうか-など、改善点に気づけば行政に提言するようになった。

 「4月に徳島大学工学部に入学します」。取材中、思いがけない言葉を聞かされた。鉄工所を営む実家を将来的に手伝う可能性があるためらしい。「せっかくの機会なのでどんどん仲間を増やそうと思っています」。面白い街の実現へ、挑戦はまだまだ続く。