閑散とする北京首都国際空港の到着ロビー。手前は新型コロナウイルス対策として、フェースシールドで顔を覆った空港スタッフ=3月27日(共同)

 週を追うごとに、中国の感染者・死者数が増え、個別の事例が細かく紹介されるようになった。北京市内では感染者が見つかった場所や移動経路が開示される。そんな場所に行くのを避けられるので安心感がある。

 マスクをしていない人を街で見なくなった。周囲のレストランは徐々に開き始めたけれど、食卓を3人以上で囲むのは禁止という通達が出ている。感染の危険性を徹底的に減らそうとの狙いだろう。ここまですれば、落ち着いてくるのではないかと期待する。

 2月10日あたりからクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」を中心にした日本の報道が多くなってきた。チャーター機で帰国した人が千葉県のホテルに隔離され、14日間の観察期間が明けたのを地元住民が応援したという話題には癒やされた。

 旧正月を地方で過ごし、Uターンする人が17日前後から増えた。このため省市をまたいで移動した人は、武漢市を含む湖北省からでなくても14日間の隔離観察が義務付けられた。外部からの流入が危険だということなのだろう。実質的に省市をまたぐ移動はできなくなる仕組みだ。

 この徹底的な防疫策に対し、周囲の人は内心は別としても従順に対応している。中国人といえば、信号を無視するなど公衆ルールを順守する観念が日本人と比べて不十分というステレオタイプ(紋切り型)がある。今回はなぜ徹底できているのか。「全体主義の国だからか」という疑問が湧く。

 もちろん、厳しい罰則を伴う強制という要素もあるだろう。しかし、中国人の間に「新型コロナウイルスは命に関わる恐ろしいもので施策への協力が最善だ」という思いが、しっかり共有されているのだと思う。自宅隔離も休校も移動制限も、個人の日常生活に不便を強いる。それ以上に感染や感染拡散は絶対に避けなければならず、対策として政府の指示に従うのが最善だと得心し、主体的に協力しているようだ。

 日本と比べてみると、ルールや秩序に対する信頼感の差ではないかと感じる。中国人の多くは、深夜の赤信号で車を止める日本人の姿に違和感を覚える。それは「そもそも信号は交通事故を抑止するもの。明らかに衝突リスクのない場合に、従う必要があるのか疑問」という感覚なのかもしれない。

 言い換えれば、信号に基づいて行動し、仮にけがをする。その時に違反者がルールに沿って処分され、被害者は相応の補償を受けるのかという点に絶対の信頼感がなければ、中国人はルールの意味を自主解釈し、リスク回避的に行動するということだ。逆に、盲目的にルールに従う姿を理解するのは困難かもしれない。

 中国では国家でさえも信頼できないという時期が長く続いた。その分たくましく、自分の身は自分で守る意識が徹底している。日本ではルールの順守状況を、単純にモラルや民度の高低と捉える向きがある。徹底した防疫体制に協力する中国人の姿を見ると、「違い」でしかないと思う。(越智幹文・国際協力銀行北京駐在員事務所首席駐在員=徳島市出身)