玄月さん

 原稿用紙なりパソコンなりを開いて、いざ1行目を書こうとする前に、決めなければならないことが二つある。

 まず、視点。誰がどのように語るのかが決まってないと、一文字も書けない。

 小説の視点には、一人称と三人称がある(二人称もあるが、あまり一般的ではないのでここでは省く)。

 一人称には制約がある。当然だが主人公は知っていること以外語れない。このことを逆手に取って、主人公の知らない、あるいは気づいていない情報を、他の登場人物の行動やせりふにより、読者に与えることができる。

 これの効果はどのようなものか。我々は実生活において経験している。自身のことを話している友人が知らない情報を、あなたが知っている、というケースは、誰にでも経験があるだろう。友人は知らないが故、事の成り行きがなぜああなったのか納得できない。しかし、あなたは分かっている。そして、言えない。これを読書で体験できるのだ。

 三人称にはいくつかの段階があることを覚えておこう。最も多いのが、主人公と同じ視点の高さ、つまり一人称の「私・僕」を「A子・B夫」に置き換えただけの三人称。

 つぎは、視点を少し高くして、登場人物たちを俯瞰(ふかん)してみよう。複数の人物の心理に入り込んだり、あるいは入り込まず行動だけ描写するなどして、一人称および一人称的三人称と比べものにならない自由を満喫しよう。

 さらに視点を高くしてみよう。いわゆる「神視点」。こうなると、作者が作中で口を挟んできたり、なんでもありだ。

 小説において視点は非常に重要なので、自分の描きたい世界には何が向いているのか、熟慮しよう。

 視点の次は、登場人物。必ずしも人間でなければならないわけではない。犬も昆虫も宇宙人も主人公になれる。ただし、主人公は擬人化されなければならない。

 宇宙空間を舞台に、地球には存在しない生命体が活躍する小説を書こうとする。登場生命体には、我々読者がまったく理解できない発想と行動をする者がいる。

 彼らは主人公にはなれない。なぜなら、読者が寄り添えないから。もし彼らしか出てこない文章ができたとする。しかも面白い。

 しかし我々は、これを小説と呼べない。異常気象を追ったドキュメンタリーと同じなのだ。興味深くはあっても、文学ではない。

 ただし、「異常気象」が何か意志を持って行動している、とされたならば。例えば人類に対する怒りだとか、汚れた地球を浄化するためだとか。そうなると、異常気象は人間の心理に作用する、物語になる。

 視点と登場人物の二つが決まれば、小説は書き始められる。ストーリーは後から考えてもいいのだ。それについては次回。

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 3回目となった全国公募の掌編小説コンクール「徳島新聞 阿波しらさぎ文学賞」(徳島文学協会、徳島新聞社主催)では、6月10日まで作品を募集中だ。昨年まで同文学賞のトークイベントにゲスト作家として登壇した芥川賞作家の玄月さんに、小説の書き方を伝授してもらう。

 げんげつ 1965年大阪市生まれ。2000年「蔭(かげ)の棲(す)みか」で芥川賞。大阪で文学バー「リズール」を経営。他に「寂夜」「異物」など。55歳。