玄月さん

 視点と登場人物の二つが決まれば、小説は書き始められると、前回話した。

 始めたとして、ストーリーが決まっていないのに、どうやって書き進めるの?と思うだろう。では、ここであなたの言うストーリーは、小説のどこまでのことを言っているのだろうか。結末まで?

 小説は、結末が決まっていないと書き進められないのだろうか(トリックのあるミステリーは結末から逆算して書くことがほとんどだから、省いて考える)。

 私は、ストーリーは書き進めながら考える。私がこれまでお会いしたたくさんの小説家のほとんどもそうだ。

 つまり、多くの書き手は今書いている物語の行く末をよく分かっていない、ということになる。

 なぜそんなことが可能なのだろう。と疑問に思った人に、創作におけるこんな失敗例を紹介しよう。

 Kという小説家志望の若者が、A4の紙一枚に粗筋(ストーリー)を書いた。周りの者はとても面白いと言った。彼はそれを原稿にしてみんなに見せたが、評価はひどく悪かった。こんなの小説ではない、とまで言われた。何が悪かったのか?

 その理由の一つははっきりしていた。ストーリーと登場人物の心理や行動が、ずれまくっていた。つまり登場人物にリアリティーがまるでなかったのだ。

 例えば、男が好きな女の前で、顔をそむけ怒鳴り声で、好きだ付き合ってくれ、というようなものなのだ。

 Kは、ストーリーに振り回された。

 同じようなケースがある。実体験を書いた、リアリティーがあっていいに決まっていると、自信満々に原稿を出す人がいる。その原稿はほぼつまらない。私がこうしたらどうかなどと助言すると、実際にあったことなのだから変えられないと、不機嫌になる。

 その人は、「事実」に振り回されている。事実を書きたいのなら、手記にすればいいのに。

 小説は「生もの」である。たとえ百年前に書かれたものであっても。優れた小説には、リアリティーとともに臨場感がある。自分が登場人物になったような錯覚に陥ることさえある。

 同じことを、作者も感じたりする。書きながら、この人物はどうなるのだろうと、ハラハラする。想像もしたことのない動きを突然する。別の言い方をすると、書きながら、作者は「発見」しているのだ。その発見のせいで、決めていた少し先の展開や、結末までもが大きく変わることもある。

 ストーリーに固執しないのは、柔軟でいたいからなのだ。「発見」は常に心躍る。そしてその発見は、同じ感動を伴って必ず読者に伝わる。(芥川賞作家)

◇   ◇   ◇

 全国公募の掌編小説コンクール「第3回徳島新聞 阿波しらさぎ文学賞」(徳島文学協会、徳島新聞社主催)は、6月10日まで作品を募集中。要領と過去の受賞作は、徳島新聞電子版に掲載されている。