玄月さん

 ある物語を舞台にするとき、まず脚本というものが作られる。そこには、物語の設定と登場人物の最小限のしぐさとせりふが、箇条書きされている。だいたい素っ気ない。

 演出家と俳優たちが、そこに命を吹き込むことで、我々は感動的な舞台を見ることができる。

 演出家と俳優のやることと、小説の創作はどこか似ている。素っ気ない粗筋に命を吹き込むところが。

 例を挙げよう。脚本の冒頭を思いつくまま適当に書いた。

 登場人物はK(中年男)とJ(若い女)。真夏の朝の公園。大きなクスノキの下のベンチにKが座っている。頭を垂れ、焦燥している。Jが現れ、Kの前に立つ。手にコンビニの袋を提げている。「おはよう。缶コーヒー買ってきたよ」。Jは袋から缶を取り出しKに手渡そうとするが、Kは地面に落としてしまう。

 これを小説(のよう)にしてみる。

 Kは公園のベンチで、Jの来るのをうなだれて待っていた。いつもは楽しみで、スズメのさえずりにさえ心が華やぐのに、今日は頭も上げられない。

 Jと出会って三カ月。ほぼ毎週日曜日の朝、ここでJと会っている。小一時間たわいもない話をし、公園をぐるっと歩いてから別れる。

 こんなおじさんに、貴重な日曜日の朝を使ってもったいなくないかと尋ねると、Jはこう答えた。私はこの朝のために一週間がんばれている、と。Kはそれを素直に受け取り、喜んでいた。

 地面に影が現れた。

 Jは父親がいないから、自分を父親のように慕っているのだと思っていた。

 「おはよう。缶コーヒー買ってきたよ」

 Kは昨夜まで知らなかった。HがJの父親だったということを。

 Jが袋から缶を出そうとしているのを、Kは地面の影で見た。

 ねっとりとした汗が、Kの耳の下からあごに伝った。Jのサンダル履きの足を見つめる。ペディキュアは黒っぽい赤で、右足の親指の爪先がわずかに欠けていた。顔を上げてJを見ようとしたが、目に入ったのは、生い茂るクスノキの葉に半ば隠された朝日だった。

 差し出された缶を、Kはつかむことができなかった。

 公園に男女を置いただけなのに、これだけ話が膨らむ。KはHに何をしたのだ? Jは何をたくらんでいるのだ? 私もわくわくする。

 私がしたことは何だろう。KとJ、それぞれの属性から2人の関係をさっと思いついた、としか言えない。あとは状況を埋めていく作業になる。

 ここでもう一つ重要なことは、文体。文体とは舞台でいう俳優の演技である。

 また文体とは、匂いだ。こってりとした悪臭も、無味無臭も、文体、その人の体臭なのだ。自分に合う文体をまず見つけよう。 (芥川賞作家)

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 全国公募の掌編小説コンクール「第3回徳島新聞 阿波しらさぎ文学賞」(徳島文学協会、徳島新聞社主催)は、6月10日まで作品を募集中。要領と過去の受賞作は、徳島新聞電子版に掲載されている。