徳島ラーメンの定番と言えば、甘辛く煮込んだ豚バラ肉と生卵をトッピングした盛り付け。県外客の間ではその見た目から「すき焼きラーメン」と呼ばれることもある。この元祖とされるのが、今年で創業70年目を迎える「銀座一福(いっぷく)」(徳島市銀座)だ。徳島市中心部の商店街にある店舗は面積約40平方㍍、客席数は最大27席と決して広くはないが、唯一無二の味を求める県内外のファンで連日にぎわっている。徳島ラーメンの原型を生み出した小さな老舗の70年の歩みを振り返ってみた。
 

今年で70年目を迎える老舗「銀座一福」=徳島市銀座

 銀座一福の原点は、戦後間もない1951年7月に初代の折原定二(さだじ)さんが県内に住む中国人ヨウさんから中華そばの作り方を教わり、現在の両国橋西公園付近で始めた屋台「大盛軒(たいもりけん)」だ。

中華そばに魅せられ銀座一福を創業した初代の折原定二さん(銀座一福提供)

 当時の徳島で麺の店と言えばうどん屋が主流。豚骨でだしを取る中華そばはあまり良いイメージを持たれておらず、徳島市内には佐古に「東洋軒」、蔵本町に「多良福家」などがあるぐらいだったが、癖になる味わいを支持する人もいた。

 最初は赤字が続いていたが、物珍しさから口コミで多くの人が立ち寄るようになり、約1年後に現在の場所に店を構えた。屋号は、近くにある1875(明治8)年創業の老舗うどん店「両国福助」にあやかって「一福」とした。

 最初の店は屋台にプレハブを付けたような造りで、7、8人入れば満席になったため、ほとんどの客が店外で食べていた。

 2代目の勝之さん(85)によると、屋台時代から具材には定二さんの発案で甘辛く煮込んだ豚バラ肉を使っていた。定二さんは親交があった創業100年以上の老舗すし店「栄寿司」(秋田町)の当時の店主に味見を頼んでおり、「うまい」と太鼓判を得たことで自信を深めた。

来店客の要望で生まれた定番メニュー「月見そば」

 こうして、チャーシューが定番だった時代に豚バラ肉を使った徳島ラーメンの原型が誕生。程なくして、来店客の要望で生卵をトッピングするようになった。バラ肉と生卵の相性は抜群で、評判も上々だったことから「月見そば」としてメニューに加えた。
 
 創業時のスープは、豚のげんこつと鶏ガラが主体。濃いめの脂っこい味だったものの、一度食べるとやみつきになるのか常連客が増えていった。勝之さんが継いだ1950年代後半以降は、中華そば以外のものやセットメニューも徐々に充実させていった。

 ラーメンの普及と共に、近くの東新町商店街を訪れた県内客を中心に客層も広がり、78年に姉妹店の新浜店をオープンした。さらに82年に店を改装し、85年頃に支店の沖洲店を開いた(2005年閉店)。

 転機となったのは、ご当地ラーメンの全国的ブーム。徳島市西大工町の「中華そば いのたに」が99年に新横浜ラーメン博物館(横浜市)に出店したのを機に、徳島ラーメンの存在が全国に知られるようになった。

 一福もご当地ラーメンの老舗として知名度が上がり、有名人や県外客が数多く訪れ始めた。今でも市中心部で開かれる阿波踊りや、アニメの祭典「マチ★アソビ」といった大型イベントの際には長蛇の列ができるほどの人気になっている。
 

自宅の調理場で仕込みを手掛けている2代目の勝之さん=徳島市栄町

 現在のスープは勝之さんが改良した。豚骨と野菜を7~8時間煮込んで、ざると布に分けて2回こし、あっさりめに仕上げる。伝統のうま味はそのままに、時代の好みに合わせて甘めに調整している。バラ肉は創業時のたれを継ぎ足しながら味付けしたものだ。

 「他の店の中華そばも食べているけど、やっぱりスープはうちの味が一番」と勝之さんは自信たっぷりに話す。初代から受け継いだ味のこだわりを守ろうと、今も自宅の調理場に立ち、スープやバラ肉などの仕込みを一手に手掛けている。

 メニューも創業時からほとんど変わっていない。定番の「ワンタン麺」は県外客の間で人気が高まっている。創業時からの定番だった手作りシューマイは現在、メニューにはないものの、年2回の予約限定で1000個ずつを販売しており、毎回完売するほどの根強い人気を誇っている。
 

店の厨房(ちゅうぼう)全般を担っている3代目の秀茂さん=徳島市銀座

 約4年前からは、3代目の秀茂さん(65)が厨房全般を担っている。秀茂さんも創業以来の味を守ることに誇りを持っており「数十年ぶりに来店したお客さんから『味が変わってないね』と言われるとうれしくなる」と顔をほころばせる。

 一方で、近くの東新町商店街の衰退と共に平時の売り上げは80~90年代のピーク時から大幅に減少している。今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で客足がより一層遠のいており、試練の時を迎えている。

 「80年目、90年目になっても今の味のまま変わらずに続けていけるように、これからも頑張りたい」。そう語る秀茂さんの言葉には、徳島ラーメンの原点を守り続ける職人としての並々ならぬ自負がにじんでいた。