日本を代表する妖怪の一つに「化け猫」がいる。文字通り猫が変化したもので、各地に数多くの化け猫伝説が残されている。中でも「日本三大怪猫伝」の一つに数えられる伝説の発祥として名高いのが、今回の目的地・阿南市加茂町の「お松大権現」だ。受験や勝負ごとの神様、通称「猫神さま」として親しまれ、受験シーズンには合格を祈願する多くの参拝者が県内外から訪れる。境内には多彩でユニークな猫の像や約1万体の招き猫が奉納されており、県内屈指の不思議スポットとしても知られている。

ジャンボ猫が参拝者を出迎えるお松大権現=阿南市加茂町

 国道55号から那賀川南岸沿いを西へ車で走ること約20分。阿南市西部に位置する人口約400人の加茂町に目当てのお松大権現がある。

 最初に度肝を抜かれるのが、入り口の鳥居横に鎮座する全高2メートルの「ジャンボ猫」だ。アミューズメントパークのキャラクター風の造形で、由緒ある神社との不思議な組み合わせが面白い。設置されたのは約10年前と新しいものの、多くの参拝者の記念撮影スポットとなっているシンボル的な存在だ。

猫の足跡を模した彫刻が施された参道=阿南市加茂町

 鳥居をくぐって石段へ向かう石張りの短い参道には、猫の足跡を模した遊び心あふれる彫刻が施されている。11代社主の阿瀬川寛司さん(73)は「神様は参道の真ん中を通るとされているので、猫神さまの足跡をワンポイントに入れてみた」とその理由を明かす。

 山門を入ってすぐ左側に、こま犬ならぬ「こま猫」が露払いをする拝殿がある。中のご神体はもちろん猫。それを取り囲むように無数の招き猫が祭られている。屋根瓦の上には「魔よけ猫」も顔をのぞかせている。

 拝殿の裏に回ると、化け猫伝説のヒロイン・お松のご神体を祭った本殿があり、横に「さすり猫」が鎮座する。これは、参拝者の体をこの猫に置き換え、治癒させたい患部と同じ箇所をさすることで病魔退散のご利益があるとされている。

山の斜面を切り開いた通り道の脇にある猫の大仏=阿南市加茂町

 境内の奥へ向かうと、山の斜面を切り開いた通路の脇に「猫の大仏」「猫の七福神」そして「猫不動」-。ユニークなポーズや姿形の猫像が点在しており、猫の国に迷い込んだかのような不思議な空間が出来上がっている。ちなみに本物の猫も現在3匹(多い時は6匹)がすみついており、参拝者の心をなごませている。
 
 お松大権現の由来は江戸時代までさかのぼる。時は1680年代、加茂村(現・加茂町)の庄屋・惣兵衛が不作に苦しむ村を救おうと富豪に金を借りた。惣兵衛は金を返済したものの、証文を受け取らず病死。欲に目がくらんだ富豪が未返済と偽り、担保になっていた土地も横領してしまう。

 惣兵衛の妻・お松が奉行所に訴え出るが、富豪に買収された奉行は不当な裁きを下した。それを不服としたお松は藩主に死を決して直訴し、その罪で処刑された。その後、お松の飼っていた三毛猫の玉が化け猫となり、奉行と富豪の両家に出現。怪異を次々と起こし、お家断絶に至らしめたと伝えられる。

無数の招き猫が祭られている拝殿の内部=阿南市加茂町

 お松の非業の死を哀れんだ親戚筋に当たる次代の庄屋が、近くの21番札所・太龍寺の住職の助けを受けてひそかに祭った。命日には地元の庶民によって毎年供養され、時の権力への反抗を示すシンボルとして信仰されてきたという。

 長らく境内の小さな三重塔の近くにあるほこらにひっそりと祭られてきた。信仰の自由が認められた明治以降に公となり、1925年に現在の本殿が建てられた。63年に拝殿の裏に移設。敵を討った玉のご神体も猫塚として残っている。
 
 お松大権現は、命をかけて正義を貫いたお松の生涯をたたえ、訴訟の神様として一般に広まった。阿瀬川さんによると、60年代から訴訟必勝から転じて合格祈願の受験生が多く訪れ始めたという。その後、これまで辞退していた寄付を受けるようになり、寄進者自らがデザインした変わり種の猫像が次々と奉納されるようになった。

約1万体にもなる猫の置物が境内の至る所に祭られている=阿南市加茂町

 現在のように整備されたのは平成に入ってから。88年に宗教法人となり、2002年に拝殿を建て替えたり、ジャンボ猫を設置したりした。約1万体に達する猫の置物は、今も年間約500体が奉納されて増え続けているという。

 神社の由来を解説する資料館も建っており、無数の招き猫と一緒に、お松の伝承を切り絵10点で紹介。庄屋一族の系図や、惣兵衛が一族について書いた「覚書」も展示している。

 境内の中央には、お松の死後間もなく植えられたという樹齢約330年の市指定天然記念物・イヌマキの木もある。それを見上げながら、お松が生きた遠い昔に思いをはせるのも一興だろう。