季節外れの寒波に雨と風。普通なら何て日だとなるところ、この選手は違った。先月の吉野川市リバーサイド・ハーフマラソンでも快走を見せてくれた公務員ランナー川内優輝さんである

 アフリカ勢がスピードを生かしにくい悪天候は、「私にとっては最高のコンディション」。凧(たこ)は風に向かうからこそ高く揚がるというが、世界のトップ選手相手に消耗戦を耐え抜いて、開催122回の伝統を誇るボストン・マラソンを制した。日本勢の優勝は31年ぶり、9回目となる

 「心臓破りの丘」の難所で知られる大会に日本人が初めて参加したのは、敗戦から間なしの1951年のことだ。広島県出身の大学生田中茂樹さんが、いきなり栄冠をさらった

 かつての敵国へ乗り込んできた日本人青年の活躍に、米国の新聞は「アトミックボーイ(原爆少年)」と書き立てたという。広島の街も人もいまだ傷が癒えなかったころである。米紙の、あまりの気遣いのなさにはあきれるが、国を問わず爆弾を落とした側は、そういうものなのだろう

 以降、日本勢は川内さんを含め8人が大会を制している。瀬古利彦さんが2回目の優勝を飾った87年、川内さんは生まれた。これも因縁か

 「まさか勝つとは」。日本陸連でマラソン強化に携わる瀬古さんも驚く番狂わせ。東京五輪に向け楽しみがまた増えた。