鳴門一高3年時の全国選手権徳島大会準々決勝で敗れた後、仲間をねぎらう藤田=2000年7月23日、県営鳴門球場(現鳴門オロナミンC球場)

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、夏の甲子園大会の中止が20日に決まったことを受け、鳴門市出身の楽天・藤田一也内野手(37)=鳴門一高(現鳴門渦潮高)―近大出=は「球児にかける言葉が見つからない」と残念がった。目指した聖地の土は踏めなかったものの、苦労してチームをまとめ上げた高校時代を振り返り、「悔しいと思うが、仲間と共に頑張り抜いた3年間を自信にしてほしい。今後の人生で苦しいことがあっても乗り越えられる」とエールを送った。

 高校時代は遊撃手で3番。2年秋から主将を務めたが、同級生の部員12人は皆負けず嫌い。意見が食い違い、まとまりがなかった。試合でも結果を出せず「人生で唯一、野球をやめたいと思った時期」と語る。

 しかし、諦めなかった。率先して厳しい練習に取り組み、背中でチームをまとめていった。迎えた最後の夏。準々決勝で甲子園に出場した徳島商に3―5で敗れ、自身も好機に凡退するなど3打数無安打に終わった。「負けたのはつらかったけど仲間と一つになれた満足感はあった」。何より12人の誰も退部しなかったのがうれしかった。

 近大に進むと周りは甲子園常連校の出身者ばかり。「甲子園に出られなかったことを悔しく思ったが、何くそとの思いで練習した」。無名だったことを発奮材料に守備力を磨き、プロ入りして「日本一の名手」とまで言われるようになった。「むしろ甲子園に出ていたら今の自分があったかどうか分からない」

 ただ、今回は出場権を懸けた地方大会から中止となった。「同じ甲子園に出られないといっても自分は負けることができた。しかし今の3年生は挑戦権すらない。『甲子園に出るのが全てではない』なんて無責任なことは言えない」と球児を思いやる。

 毎年オフは古里で自主練習し、同級生や恩師の森恭仁監督(現鳴門渦潮高監督)と旧交を温める。今も同級生は活躍したら連絡をくれ、大きな励みになるという。高3の夏からちょうど20年。「プロで続けられるのは高校の3年間があったからこそ」としみじみ語る。

 県高野連が独自の代替大会を検討しており、現3年生に向け「かけがえのない仲間と練習できるのはあと数か月。最後まで一緒に頑張ってほしい」と励ます。「すぐ気持ちを切り替えることはできないだろう。でも10年先、20年先の人生でつらいことや苦しいことがあったとき、この経験は決して無駄にはならない」とメッセージを送った。