太平洋戦争末期、徳島白菊特攻隊の隊員として沖縄特攻で戦死した能勢寛治少尉(享年21)の妹、菱田靖子さん(87)=東京都葛飾区=が、徳島の有志でつくる「徳島白菊特攻隊を語り継ぐ会」に兄の遺品を寄贈した。戦後年を迎えて存命する関係者が少なくなる中、白菊特攻隊の史実の継承に役立ててもらおうと申し出た。2015年に発足した「語り継ぐ会」に、戦死した隊員の遺品が寄贈されたのは初めて。
能勢さんは大阪市出身で、関西大在学中に海軍飛行予備学生となり、徳島海軍航空基地(松茂町)に配属。1945年5月27日夜、白菊特攻隊による第2次出撃で帰らぬ人となった。
寄贈されたのは、能勢さんが出撃前まで肌身離さず持っていた手帳やお守り類、愛用していた仁丹のケース、海軍の名刺など大きく分類して7点。手帳には「白菊特攻隊ノ歌」の歌詞や、電信に用いる符号のほか、「想い出はきえてはかなし虫の声」などの自作の句も記されており、当時の隊員の状況を知ることができる。
菱田さんは元隊員や遺族らでつくる「徳空会」の一員。会員の高齢化で2008年に中止された基地跡の海上自衛隊での慰霊祭にも5回ほど参列した。慰霊祭が「語り継ぐ会」によって年から徳島市の県護国神社で復活したことを知り、今年6月の開催に合わせて千羽鶴を奉納した。
そのお礼に7月、「語り継ぐ会」会員の大森順治さん(69)=吉野川市川島町=が徳島新聞で掲載された白菊特攻隊の連載記事や関連資料を送ったところ、遺品を提供してくれることになった。
菱田さんは「兄を知る家族や友人は既に他界し、私も早く迎えが来ないかと思う毎日だった。しかし、今も徳島で兄をしのんでくれる人たちがいることを知り、1日でも長生きして供養を続ける気持ちになれた」と話す。
「同じ過ちを繰り返さないでほしい」という菱田さんの思いを受け、「語り継ぐ会」は各地で展示会を企画して遺品を紹介する。