野球殿堂入りが決まった 宍喰町出身の名将・上田利治さん

 「小学校四年のとき、戦後の荒廃した宍喰の町を明るくしようと町を挙げて野球をやることになり、仲間や先生と学校の中庭でキャッチボールを始めたのが私の野球人生の原点。それが夢中になって天職にまでなった。そんな環境を与えてくれた故郷の先輩に感謝している」

 阪急ブレーブス(現オリックス)の監督時代、時には鉄拳制裁も辞さない強いリーダーシップと情熱で「闘将」と呼ばれた。

 そんな熱っぽさを感じさせない穏やかな口調で殿堂入りの喜びを静かに語り、「これからは次代を担う子供たちに、自分が楽しんできた野球を伝えていくのが私たちの責務」と決意をみせる。

 監督としての通算成績1322勝は歴代6位。阪急、オリックス時代には4年連続を含む5回のリーグ優勝を果たし、1975年からは3年連続の日本一に。

 選手時代に華々しい活躍はなかったものの、24歳の若さでコーチに就任し、指導者となって大輪の花を咲かせた。 阪急のコーチ時代に仕えた西本幸雄監督(当時)を師と仰ぎ、「野球への情熱と妥協のない厳しい姿勢を学んだ」という。

 「里帰りすると、できるだけ少年野球を見に行く」。自分を育ててくれた故郷・徳島への心配りを忘れない。昨年11月にも明治神宮大会に出場した徳島商業高校の応援に駆けつけ「かなり強い。手応えを感じた」と目を細めた。

 「これからは暇を見つけてもっと徳島に帰るようにし、子供たちの野球を見てみたいね」。

※日付・年齢などは2003年1月11日掲載時のもの

徳島新聞社など全国24メディアが協力した、コラボレーション報道「コトバのチカラhttps://powerofwords.jp/)」との連携企画記事