ダモイが唯一の希望であり、願いだった

(徳島市、田中一利さん)

 満州(中国東北部)開拓の即戦力として創設された満蒙開拓青少年義勇軍。周囲の反対を押し切って14歳で志願し、使命と夢を抱いて渡満した。しかし、太平洋戦争で日本が敗れると極寒のシベリアに抑留され、奴隷同然の強制労働を強いられた。「ダモイ」とは、看守が労働前によく口にした「帰国」や「帰還」を意味する現地の言葉。しっかりと働けば日本へ帰れると信じていたが、なかなかその日は訪れなかった。極寒の地と劣悪な住居、粗末な食事、長時間の力仕事・・・。抑留生活は19歳から4年間続いた。

※2015年本紙取材、当時89歳

 終戦から75年。戦争の時代を生きた人たちの肉声を聞く機会は徐々に減り、記憶の風化が加速している。戦後75年企画として、記者がこれまでに取材した戦争体験者の声を紹介する「言葉を刻む」を始める。紙面などに掲載された言葉に改めて着目し、戦争の悲惨さや平和の尊さについて考える。全国の地方紙とも連携する。