大島は、島全体がハンセン病の国立療養所となっている。海が隔離の役割を担ってきた=高松市

 「知り合いが言うには、『らい』じゃないかって。・・・私に告げ口した人が周りの人にしゃべったら終わりよ」。樹木希林さんがハンセン病の元患者徳江を演じた映画「あん」(2015年、河瀬直美監督)の一場面。徳江が小さなどら焼き屋で働き始めたことを知ったオーナーが、雇った店長に辞めさせるよう迫るせりふだ。オーナーは消毒液を手に塗り込み、「私だって好きで言ってるんじゃないの」と言い残し店を去る。

 ハンセン病に関する差別は、新型コロナウイルスを巡るそれと重なる部分がある。感染症は人から人へとうつる。人との接触を防ぐために、感染者は場合によっては隔離される。これは単なる医学的措置だ。しかし、ここに周囲の人々の恐怖や不安が加わると、排除や差別の空気が生まれる。

 瀬戸内海に浮かぶ大島は、島全体がハンセン病の国立療養所大島青松園となっている。9歳からここで暮らす森和男さん(80)=鳴門市出身、全国ハンセン病療養所入所者協議会長=は、今の社会を覆う排他主義を「私たちが病気になったときと同じだ」と言う。「ハンセン病でも感染者だけでなく、家族や医療従事者が差別された」

 ハンセン病はらい菌による感染症だ。現在は薬で完治するが、古くは不治の病と考えられた。日本は1907年、患者の隔離政策を開始。40年代に治療薬の有効性が確認された後も国は政策転換せず、医学的根拠のない隔離を実に96年まで続けた。

 「患者の子どもが学校でいじめられる、机を離される。そんなことは頻繁にあった」と森さん。自身の弟も中学時代にいじめを受け、高校に進学しなかった。国の強制隔離政策の誤りを認定した2001年の熊本地裁判決で、原告証人となった和泉眞藏医師(83)=元青松園外科医長、滋賀県守山市=は「看護師や事務職員が療養所に勤めていることを公にしないこともたくさんあったと思う。家族も差別されてしまうから」と振り返る。

 こうした時代の空気は官の呼び掛けに民が応じ、つくられた。熊本地裁判決で差別や偏見の「原点があると言っても過言ではない」と指摘されたのが、1930年代から広がった「無らい県運動」。国はハンセン病を「恐ろしい不治の感染病」と喧伝し、都道府県が競って罹患者を強制収容した。国民も賛同し、自宅療養する患者を密告した。

 「『あそこの家にもいる』と自分が言わなかったとは思えない」。樹木さんは2016年、高松市でのシンポジウム(法務省主催)で、「無らい県運動」の恐ろしさをこう話した。

 何十年にもわたって、ハンセン病患者という治療を必要とする人たちを排除してきた日本社会。熊本地裁判決はその罪の大きさを社会に突き付けた。感染症法の前文には過去の差別や偏見を「教訓として今後に生かす必要がある」という反省が刻まれる。それでも今再び、「感染への恐怖から過剰に自分を守ろうとした結果、差別や迫害が起きている。ハンセン病と異なり、国は正しい知識を広めようと努めたにもかかわらず」(和泉医師)。

 コロナは第2波、第3波の到来も予期される。新しい感染症の流行もあるだろう。排他主義や差別ではなく、治療とケアが広がる社会を、私たちはつくっていけるだろうか。(おわり)