向こうから弾(たま)さよけていく。1回だけじゃない。もうだめだと思ったことが8回くらいあった

(福岡県筑後市、土田喜代一さん)

 太平洋戦争の激戦地、パラオのペリリュー島から生還した34人のうちの一人。1万人を超す日本兵が戦死し「99・999パーセント」の死を覚悟した。生死を分けたものは何だったのか。「運ですよ。弾がよけていくから全然無傷だった」。慰霊のためにペリリュー島を14回訪問。戦友たちの遺族や後世に凄惨な戦場を伝えるために、生き延びさせられたと考えることもあるという。 

※2017年西日本新聞取材、当時97歳

 終戦から75年。戦争の時代を生きた人たちの肉声を聞く機会は徐々に減り、記憶の風化が加速している。戦後75年企画として、記者がこれまでに取材した戦争体験者の声を紹介する「言葉を刻む」を始める。紙面などに掲載された言葉に改めて着目し、戦争の悲惨さや平和の尊さについて考える。全国の地方紙とも連携する。