パークス一行が徳島城に登城した際の行列図などが描かれた「武藤家文書」(県立文書館提供)

 幕末に薩摩、長州両藩の倒幕運動を支援した英国駐日公使ハリー・パークス(1828~85年)の徳島城登城について、徳島藩の重臣が記した文書が確認された。パークスに同行した英国人通訳アーネスト・サトウの著書「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫)によって、英国側から見た徳島訪問記は有名だが、徳島藩側の記述が明らかになるのは初めて。「古今味曽(未曽有)之事=今まで見たことのない出来事」などとあり、当時阿波に暮らした人々が衝撃をもって受け止めた様子が伝わる。史料は県立文書館の企画展「蜂須賀家家臣と拝領地―武藤家文書を中心に」(10月29日まで)で展示されている。

 徳島藩重臣だった武藤家に伝わる「武藤家文書」のうち、「英国人着其日直ニ登城行列左之通(えいこくじんちゃくそのひただちにとじょうぎょうれつひだりのとおり)(日誌)」に記述されていた。パークス一行が大政奉還の約3カ月前の慶応3(1867)年8月、徳島を訪問した際の出来事を書き留めている。徳島藩13代藩主・蜂須賀斉裕(なりひろ)と面会したパークスらの登城から、翌日に徳島を離れるまでの日程が確認できる。

 パークスらが夜五ツ過ぎ(午後8時ごろ)に登城した際の行列図や、斉裕との面会の図も描かれ、公使団員の役職や名前などが分かる。サトウの「一外交官―」と照合すると▽退城後、パークス一行が雨の降る真夜中に宿泊先の寺に戻った▽翌日に徳島城下の福島で軍事調練を見学―など、記述がほぼ一致していた。

 県立文書館の徳野隆館長は「従来、パークスの徳島訪問を裏付けるのはサトウの記述だけだった。幕末維新期における徳島藩の史料が非常に少ない中、藩の重臣の文書からパークスに関する史料が見つかったことは非常な驚き」と話す。

 武藤家は、歴代当主が藩家老に次ぐ重職である「中老」職を務めるなど、藩政で重要な役割を担ってきた。武藤家の子孫から8484点に及ぶ「武藤家文書」が県立文書館に寄託されており、今回の企画展「蜂須賀家家臣と拝領地―」の準備のため、整理中に確認された。同展では17世紀初頭から明治20年代までの32件を展示。10月1日午後1時半から、金原祐樹課長補佐の展示解説がある。

 徳野館長は「武藤家文書には、徳島の歴史や上級武士の生活を研究する上で、貴重な史料がそろっている。引き続き精査していきたい」と話している。