連れて行く時も一枚の紙ならば、死の報(しら)せも一枚の紙でした

  山形県大蔵村 中島キク子さん

 15歳で結婚した中島さんが夫英治さんと暮らしたのは約3年半。長男、次男をもうけた。夫は1945年3月に出征し、その日から食卓に写真を置き陰膳を供えた。生死不明のまま4年が過ぎ、同じ部隊にいた人から、中国・旧満州で終戦3日前に夜襲決行に出たまま帰らず、戦死しただろうと告げられた。58年7月、小さな白木の箱が届いた。中にあったのは一枚の紙切れ。「引き揚げが終わったから生死不明の人は戦死とする」

※2002年山形新聞掲載、当時76歳

 終戦から75年。戦争の時代を生きた人たちの肉声を聞く機会は徐々に減り、記憶の風化が加速している。戦後75年企画として、記者がこれまでに取材した戦争体験者の声を紹介する「言葉を刻む」を始める。紙面などに掲載された言葉に改めて着目し、戦争の悲惨さや平和の尊さについて考える。全国の地方紙とも連携する。