「障害の有無を超えた人類愛のメッセージを届けたい」と話す吉田さん=堺市

全ての人々兄弟に

 2014年6月1日、鳴門市の第33回ベートーベン「第九」交響曲演奏会は、いつもと違う光景が見られた。ステージの合唱の最前列には車いすの女性がいた。脳性まひで幼い頃から両足と左手が不自由な吉田真梨子さん(37)=堺市=は、鳴門の第九の歴史で初めて車いすでの参加者となった。
 
 日本初演の地で大好きな第九を歌いたい-。吉田さんの夢を鳴門の人たちは快く受け入れた。「入退場を誘導してくれたり、指揮者が見えやすいように車いすの下に段を設けてくれたり。皆さんの心遣いに感激した」
 
 母の美代子さん(71)と共に第九の魅力に引き込まれ、「はばたけ堺!合唱団」に所属する。親子で第九を始めるきっかけとなった大阪城ホールの「1万人の第九」では、車いすの参加者も少なくない。しかし、大合唱団を収容する会場設営の都合から、吉田さんが歌う場所はいつも通路だった。
 
 「鳴門ではステージで一緒に歌えて充実感を味わえた。第九は障害者でも健常者でも分け隔てないことをあらためて実感できた」と振り返る。
 
 「全ての人々が兄弟になる」。第九の歌詞が、吉田さんを引きつける。そして、ベートーベンに対する強い共感もある。
 
 ベートーベンが耳が聞こえにくくなったのは20代後半。作曲家として致命傷となる病を抱えながら、その後も数多くの名曲を作り上げた。そして、ほとんど聴力を失った後の1824年、53歳で不世出の大作である第九を発表した。
 
 「おそらく声を出したり、手を打ち鳴らしたりして、体の奥の響きを頼りに作曲したのでしょう。苦難の闇を抜けて光にたどり着いた、彼の情熱に奮い立たされる」
 
 吉田さん自身も障害と向き合いながら生きてきた。沖縄国際大で福祉を学んだ後、大阪の障害者相談センターでカウンセラーを務めた。激務で体調を崩すまでの6年間、ハンディがある人たちの相談に耳を傾け、同じ障害者として悩みや喜びを共有してきた。
 
 時には童謡などの音楽を使って相談者の心を癒やした。失語症の人には歌えなくてもメロディーに合わせて手をたたき、足を踏みならしてもらった。すると、次第に症状が改善していったという。
 
 「音楽には私たちが想像する以上の力がある。どんな曲でも心のひだに染み入れば、人生を豊かにする」。吉田さんにとって、それが第九だった。
 
 4月には障害者差別解消法が施行され、以前に比べれば障害者への理解は進んだ。しかし、まだまだバリアフリー化されていない場所は多く、車いすでの生活は不自由を強いられる。「誰もが平等に、幸せに暮らしていける世の中になってほしい」。その願いを象徴する曲としても、第九を大切にしている。
 
 6月5日には3年連続となる鳴門の第九が控える。これまでのところ、車いすの障害者の参加は吉田さんただ1人だ。
 
 「できればもっともっと増えてほしい。日本初演の地から障害の有無を超えた人類愛のメッセージを届けたい」。