鳴門の第九に向けて打ち合わせをする荒井さん(右端)ら歌う会の会員=福島市

明日信じ福島から

 明日を信じ、復興を願い、舞台に立った-。東日本大震災から1年後の2012月6月、鳴門市で開かれたベートーベン「第九」交響曲演奏会。福島県の「ふくしま第九”すみだ歌う会“」代表の荒井秀氾さん(80)=同県二本松市=ら会員7人は、万感の思いで「歓喜の歌」を響かせた。
 
 一人一人の歌声が支え合い、折り重なりながら突き進む圧巻のクライマックス。合唱団が一つになり、生み出される感動のフィナーレに、会員たちは、被災地で手を取り合って前に進む人たちの姿を重ね合わせた。
 
 歌う会にとって2年ぶりの鳴門の第九だった。08年から参加し始め、11年6月も荒井さんら9人が出演するはずだった。しかし、震災の影響で全員が参加を取りやめた。荒井さんはあれほど好きだった第九を、歌いたいと思えなくなっていた。
 
 会員約40人は県中央部に住む人が多く、津波被害は免れたが、複数の中心メンバーの自宅が地震で全半壊し、他の会員も大なり小なり被災した。そして誰もが、東京電力福島第1原発の事故で変わり果てた、古里の姿を憂えていた。
 
 鳴門の第九をキャンセルした後も、やりきれない日々を過ごした。「このまま活動休止かな」。そう思っていた折、荒井さんの元に鳴門の第九の事務局から復興支援の義援金が届いた。鳴門に集まる全国の人たちが被災地の仲間のために寄せてくれた浄財だった。第九を通して生まれた絆のありがたさが身に染みた。
 
 「こんな時だからこそ、苦悩の果てに到来する歓喜がテーマの第九に価値があるんじゃないか。よし、もう一度みんなで歌おう」。気持ちが前に向き、鳴門の第九の復帰を決めた。
 
 第九は過去にも被災者を勇気づけた。鳴門市の板東俘虜収容所で第九が日本初演されてから6年後の1924年、東京音楽学校(現東京芸大)で日本人による第九が初めて演奏された。この年は関東大震災の翌年。演奏会は被災した人たちの復興の光だった。
 
 震災後の1年間を経て、荒井さんの中で第九の位置付けは大きく変わった。「震災までは自分の達成感のために歌っていたように思う。でも今は、明日に向けての希望の歌となった」
 
 福島では今も、原発周辺の住民や津波で家屋を失った人ら約9万2千人が避難生活を余儀なくされている。約1万7千人が県内の仮設住宅で暮らし、入居者には荒井さんと同世代の高齢者も多い。「古里に帰れるまで頑張って」と声を掛けようとするが、そのたびに言葉をのみ込む。「もしかしたら生きているうちには戻れないかもしれない」という思いが脳裏をよぎる。
 
 では、いったい自分たちに何ができるのか。それは第九を歌い続け、元気な姿を古里の人たちに知ってもらうことだった。
 
 6月5日に迫った今年の鳴門の第九にも、荒井さんら7人が駆け付ける。今年は4月の熊本地震を受け、再び震災復興への願いを込めた第九となる。
 
 「同じ被災者として心が痛む。私たちを支えてくれた鳴門の第九で、今度は熊本の人たちにエールを送りたい」。日本初演の地から、また新たな第九の絆が紡がれる。