鳴門の第九で合唱指導を務める大井さん=鳴門市撫養町の川東公民館

次代に歌のバトン

 第九には見えない磁力があるのだろう。鳴門市のベートベン「第九」交響曲演奏会で合唱指導を務める大井美弥子さん(49)=徳島市南昭和町5=は「私も不思議な力に導かれた一人」と話す。
 
 第19回の演奏会を迎えた2000年、合唱指導者に加わった。当時33歳。第1回から8年連続で合唱団員として出演した大井さんにとって、11年ぶりの鳴門の第九だった。
 
 教員を経て、興味があった雑誌編集者に転職し、多忙な日々から第九と疎遠になった。ようやく余裕が出てきた1999年、板東俘虜収容所を題材にした創作劇「コスモスの収容所」が上演されることになり、音楽指導の依頼が舞い込んだ。引き受けてみると、スタッフには鳴門の第九の関係者も多い。「ぜひ第九に戻ってきてほしい」と呼び掛けられて復帰を決めた。
 
 「図ったようなタイミングだった。第九が私を待っていたように、再び音楽の世界に引き戻してくれた」
 
 幼い頃からピアノを習い、鳴門第一中学校では合唱部に所属。3年生のとき、独唱コンクールの県大会で優勝するなど早くから才能を発揮した。
 
 鳴門の第九の第1回演奏会に出演したのは82年、県内声楽界の第一人者だった故郡曜子さんが顧問を務める鳴門高校合唱部に入部後だった。「初めてのドイツ語の曲で、オーケストラとの共演も初めて。夢中で練習した」と振り返る。
 
 合唱団員377人は、郡さんが中心となり鳴門の音楽関係者がかき集めた初心者ばかり。第九を通じて感性を育んでもらおうと、大井さんら多くの中高生の姿もあった。「演奏会を開けるだけでも十分」との意見もあったが、生み出されたハーモニーの美しさは想像をはるかに超えていた。
 
 「声が重なり合う感動が、これほどまでとは思わなかった」。聴衆の心をわしづかみにした第九に、大井さんは魅せられた。同世代の出演者も同じ気持ちだっただろう。
 
 しかし、若い頃に第九に引き込まれても、県外への進学や就職後の忙しさで継続するのが難しいのが現状。大井さんも徳島大までは合唱一筋だったが、一時期疎遠になった。そんな中、次代の指導者として戻ってきた。
 
 「育ててくれた恩師や、音楽の喜びを教えてくれた第九そのものに恩返しをしたい気持ちが強かった」
 
 「演奏会のたびに違った顔を見せられる」という第九と格闘しながら合唱技術を磨いた。2001年、鳴門の第九のオフシーズンに合唱団が活動するために発足した「コーラス9」の常任指揮者に就任。編集者として演奏会のプログラムやチラシを手掛けているのもこの人だ。
 
 鳴門の第九の合唱指導者は郡さんの弟子が大半を占める。受け継がれてきた指導者のバトンは今、大井さんの手元にある。「バトンを次の世代に渡す責任が私にはある。10年、20年後に向けて後継者の発掘にも力を注ぎたい」
 
 平和、希望、思いやり-。聖地に集う人たちのさまざまな願いが詰まった鳴門の第九が5日、35回目の幕を開ける。=第1章おわり