ベートーベン像の序幕記念日に合わせ、「歓喜の歌」を合唱する市民団体のメンバー=ドイツ・ボン

板東の奇跡を探す旅

 ドイツの街角では教会の鐘が時を刻む。ガランゴローン、ガランゴローン−。8月12日、楽聖ベートーベンが生まれたボンの青空に、正午を告げる荘厳な音色が響いた。中心部のミュンスター広場に足を踏み入れると、ベートーベン像の周囲に100人余りの人垣が見えた。鐘が鳴りやみ、広場が静まる。その時、「歓喜の歌」の大合唱が始まった。

 第1次大戦中、鳴門市の板東俘虜収容所でドイツ兵捕虜がアジア初演した第九交響曲の神髄に迫ろうと、作曲者生誕の地を訪れた。そこで待っていたのは、予期せぬ第九の出迎えだった。

 不思議な縁を感じながら、近くの男性に声を掛けた。歌っていたのは、ベートーベン愛好家でつくる市民団体「ブリュガー・フュア・ベートーベン」。この日は171年前の1845年、ボンのシンボルであるベートーベン像が除幕された記念日だと分かった。

 教えてくれた男性は、団体役員のロバート・ランスブルクさん(65)。ボン・ベートーベン管弦楽団のバイオリン奏者も務める彼は熱く語る。

 「ベートーベンは一人の音楽家を超越し、アインシュタインやコペルニクスに匹敵する天才だ。そして第九には、世界の人たちを結び付ける力がある」

 ドイツの人たちにとって、ベートーベンの存在は日本で考えられるよりもはるかに重く、大きい。ドイツ国内を回ると、同時代を生きた偉大な詩人のシラーやゲーテとともに、ベートーベンの記念碑が目に付く。古くから国境が変遷してきたドイツでは、人々のアイデンティティーは政治以上に、音楽や芸術に求められた歴史的背景があるためだ。

 第九に対する評価も揺るぎない。ベートーベンの生家を利用した博物館ベートーベンハウスの研究者、ミヒャエル・ラーデンブルガー博士(62)はこう解説する。「シラーの詩を人道主義的なメッセージを中心に再構築したのが第九。ベートーベンが詩の可能性を最大限引き出した途方もない芸術作品だ」

 広場から少し離れた石畳の街並みに建つ博物館には、ベートーベンの直筆楽譜や愛用品など唯一無二の資料が並ぶ。世界中の音楽ファンでにぎわうこの場所で、2009年1〜6月に板東収容所の特別展が催された。鳴門市ドイツ館も協力した展示会を担当したのが、ラーデンブルガー博士だった。

 「年末の日本の第九はお祭り騒ぎのようで戸惑う面もあるが、板東の演奏は作品のメッセージを具現化したものだった。そこに光を当てるのは大変意義深い」

 人道的な処遇と地域住民との交流の中、敵国の収容所で捕虜たちが挑んだ第九は、べートーベンが神格化される国の専門家にも認められている。

 では、その演奏に立ち会った捕虜たちは祖国に戻り、初演の歴史や収容所での自由な暮らしをどう伝えたのか。2年後の初演100年を控え、子や孫たちは国境を超えた絆と平和を求めた「板東の精神」をどのように受け止めているのだろうか。

 傷痕を残した2度の大戦を経てもなお、世界はテロや紛争の脅威に揺れる。ドイツでは移民系の若者によるテロが相次ぎ、難民受け入れ政策に対する国民の意見が二分している。

 こうした状況の今こそ、戦時下の奇跡ともいえる板東の史実を受け継ぐ人たちの声に耳を傾けたい−。そう思い、ドイツ各地に子孫を訪ねた。