身内でも、知り合いでもない。ただファンというだけで、野球選手の名を通学かばんに書くことが、はやった。中学1年だった1975年のこと
この年、広島が球団初のセ・リーグ優勝を果たす。山本浩二さんと並ぶ主砲、衣笠祥雄さんの活躍もあり、「赤ヘル旋風」が起きた。豪快なフルスイングだけはよくまねをされていたが、かばんにその名は見掛けなかった
中学生には、衣笠さんの不屈の野球人生を予感できなかったのかもしれない。広島一筋、プロ野球記録の2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた
逸話の一つは、山際淳司さんが描いた、79年の日本シリーズ広島対近鉄第7戦、九回裏の攻防「江夏の21球」(角川新書)に残る。一打出れば負け…。監督がブルペンに投手を走らせたのを見て、江夏豊さんは自尊心を傷付けられる。そこに衣笠さんが駆け寄って、こう言った。<オレもお前と同じ気持ちだ。ベンチやブルペンのことなんて気にするな>
<あのひとことで救われたいう気持ちだったね。オレと同じように考えてくれる奴がおる…集中力がよみがえったいう感じだった>と江夏さん。衣笠さんを抜きにして、名勝負も、この名作も、生まれなかったに違いない
約40年前の話に、今も胸が熱くなる。生まれ変わっても再び野球を、と。そんな衣笠さんが逝った。