軍国教育の優等生でした

那覇市、仲里正子さん

 沖縄師範学校女子部本科1年生の時に「ひめゆり学徒隊」として沖縄陸軍病院に動員された。教員候補として県内の優秀な学生が集められた学校。国と天皇のために命を惜しまないという皇民化教育の影響を強く受けた「優等生」として、「戦争は正義の戦い」と信じていた。日本軍の組織的戦闘が終わったとされる6月23日以降も逃げ続け、終戦の8月15日、米軍が打ち上げた祝砲を「友軍の特攻機が来たと喜んだ」。戦後、ひめゆり平和祈念資料館設立に尽力し、経験を語り続けた。

※2019年西日本新聞取材、当時92歳

 終戦から75年。戦争の時代を生きた人たちの肉声を聞く機会は徐々に減り、記憶の風化が加速している。戦後75年企画として、記者がこれまでに取材した戦争体験者の声を紹介する「言葉を刻む」を始める。紙面などに掲載された言葉に改めて着目し、戦争の悲惨さや平和の尊さについて考える。全国の地方紙とも連携する。