つるぎ高校(つるぎ町)建築科の生徒8人が、県指定史跡・石井廃寺(石井町石井)と、徳島藩筆頭家老の稲田家が治めていた洲本城(兵庫県洲本市)の石垣の模型作りに取り組んでいる。当時の全体像を把握するとともに、建築技術や特徴を学ぶのが目的。
石井廃寺は約1300年前の白鳳(はくほう)時代から奈良時代初期の創建。県教委の60年前の調査では東西55メートル、南北38メートル、東西に塔と金堂が並立する「法起寺(ほっきじ)式伽(が)藍(らん)配置」の中規模寺院で、伽藍の南正面に中門、右に三重塔、左に金堂があり、これを中門、講堂と回廊が囲んでいたと推定される。
昨年4月から当時の3年生3人と岡本和之講師(65)が現地調査を行い、土台の礎石などから配置を推測。1年がかりで配置図や建物の想像図を作り、3年生の卒業後に在校生が50分の1の模型(幅95センチ、奥行き120センチ、高さ47センチ)作りに移った。スギやヒノキなどで骨格を作り、扉や壁、格子などを印刷した紙を貼り付けるなどして年内に完成させる。
一方の洲本城は室町時代後期の1526年築城。1635年ごろから1870年まで稲田家が城代を務めた。標高133メートルの三熊山の上に建つ山城と、麓の平城があった。今は山城と、平城の石垣の一部が残る。
岡本講師が国文学研究資料館(東京)や洲本市教委に依頼して古図などの資料を手に入れ、生徒が石垣の高さや幅が記されている1802年の図を参考に4月から図面を作成。7月には城跡を訪れ、小型無人機ドローンで石垣の高さを計測したり撮影したりした。
8人が作った図面を基に、10月からは土木コースの生徒が300分の1の模型(幅約3メートル60センチ、奥行き約2メートル、高さ約50センチ)に取り掛かり、山城の石垣や山を復元させる。2年がかりで仕上げ、完成後は洲本市立淡路文化資料館が常設展示する予定。
3年の前田紫織さん(18)は「当時の人の生活が分かるような模型が作れるよう、みんなで協力して完成させたい」と話した。