雄大なライン川の流れを背に、日本への思いを語るモイリッヒさん=ドイツ・バッハラッハ
ズーアさんが捕虜時代に板東で描いたスケッチ画(モイリッヒさん所蔵)

絆つないだ祖父の絵

 額縁に収めたくなるような風景だった。ライン川はとうとうと流れ、緑濃き森には12世紀の古城がそびえる。ワインで有名なドイツ南西部の街バッハラッハには、大パノラマを眼下に望むブドウ畑の丘があった。

 「ここが私のお気に入りの場所。いつも散歩で景色を眺めに来るんですよ」。柔和な笑顔のマリオン・ズーア・モイリッヒさん(63)が、流ちょうな日本語で教えてくれた。

 第1次大戦中、鳴門市の板東俘虜収容所のドイツ兵捕虜だったカーステン・ヘルマン・ズーアさん(1876〜1950年)の孫娘。日本の文化に深い興味を持ち、75年から4年間、早稲田大語学教育研究所で言語学を学んだ。現在は、主に日本のテレビ番組のドイツロケを手伝うメディア・コーディネーターとして働いている。

 「つい先日、一緒に仕事をしたのが吉田羊さん。日本では有名な女優さんなんでしょう?」。古城へと向かう小道を散策しながら、楽しい雑談が続いた。

 祖母は中国人だったこと、夫はジャズミュージシャンであること、一家そろって日本が大好きなこと−。さまざまな家族のエピソードを語ってくれた。

 東洋の陶器や彫刻で彩られた自宅では、何枚かのスケッチ画を見せてもらった。モイリッヒさんが日本に強く引かれたのは、この絵がきっかけだった。

 彼女が11歳ぐらいの頃、祖母の家に飾ってあった見慣れない風景の絵が気になり、「あれは何?」と父に尋ねた。描かれていたのは、かやぶき屋根の民家や神社の境内。それは、祖父が捕虜時代に残した板東周辺のスケッチ画だった。

 「絵のタッチが優しくて明るく、とても捕虜だった人が描いたものとは思えなかった。でも、父から板東の話を聞き、その理由が分かりました」

 福島県会津若松市出身の松江豊寿所長の寛大な収容所運営、地域住民との温かな交流、そして自由な芸術活動。幼い頃から学校で非人道的なナチス・ドイツの行いを教えられたモイリッヒさんにとって、それらは耳を疑う話ばかりだった。

 祖父の本職は建築家で、絵画の腕前は抜きんでていた。収容所新聞「ディ・バラッケ」には挿絵が何枚も掲載され、18年3月に板東で開かれた「俘虜製作品展覧会」では線描画の部門で一等賞に選ばれている。

 「後に知った板東での第九アジア初演をはじめ、祖父たちは豊かな文化に囲まれて暮らすことができた。だからこそ、板東の人たちも『捕虜も同じ人間だ』と思って接してくれたのでしょう」

 板東の史実を知ったことが、日本への憧れをかき立てた。早稲田大に入学後の76年、モイリッヒさんは子ども時代からの念願を実現させる。電車を乗り継ぎ会津若松市を訪れ、松江所長の墓前に手を合わせた。

 「祖父に代わって礼を言い、すうっと気持ちが安らいだ。私のルーツは板東にあるんだと、あらためて実感できた瞬間でした」

 それから40年。モイリッヒさんは今も、松江所長や板東の人たちへの感謝の思いを持ち続けている。