「戦時下の暮らし 記憶のかけらを集めて」は、全国の地方新聞やNHK、ウエブメディア計12社によるキャンペーン「#あちこちのすずさん」との連携企画。7月に投稿を呼び掛け、集まったエピソードを紹介する。

 

徳島県吉野川市鴨島町・金子利昭(83)

 育ったところは美馬郡一宇村一宇(現つるぎ町一宇)。当時40~60の集落があった。

 戦中の食糧は配給制だった。あるとき私が、「くじ引き」でクジラの乾燥肉の塊を引き当てた。大喜びで、柔らかくしてから食べようと、その夜はバケツに水を入れて寝た。一夜明けると、野良猫に取られて跡形もなし。年に1回もないチャンスなのに残念で、今も手に感じた肉の重みを覚えている。食べ物の恨みはこわい。

 終戦は小学校3年生のときだった。一宇にも冬に進駐軍が来た。大人たちは「進駐軍は土足で校長さんの家の畳の上に上がるんだ。なんぼ戦争に勝っても礼儀を知らん」と怒っていた。私も外国人を初めて見て、青い目に驚いた。あれでものがよく見えるのだろうか、と思った。

 いつも、役場前にジープが止まり、兵隊さん2人が乗っている。私らは学校帰りに車を取り囲んでいた。兵隊さんたちはいつもニコニコ顔で少しも怖くなかった。ときどきガムもくれたようだが、私にはほとんどあたらなかった。あるとき先輩が少しちぎってくれた。ちょっと甘かったが、すぐ飲み込んだ。みんなも食べていたようだ。いつの間にか、サンキューとグッドバイを覚えていた。