「戦時下の暮らし 記憶のかけらを集めて」は、全国の地方新聞やNHK、ウエブメディア計12社によるキャンペーン「#あちこちのすずさん」との連携企画。7月に投稿を呼び掛け、集まったエピソードを紹介する。

 

徳島県鳴門市撫養町・田渕和子(92)

 県立撫養高等女学校3年生だったある日のこと。いつも通り友人たちと楽しく帰宅している途中、警察署前を通りかかると、なんとまあ、私の祖母が署員に連行されているではないか。私はびっくり仰天して肩掛けカバンを横抱きにして一目散に家に飛んで帰った。

 「よう分からんが、ばあちゃんが警察に連れて行かれよった」。母に言うと、母も仰天。「とにかく警察に行く」と普段着のまま、走って行った。私はもう何が何やらさっぱり分からず途方に暮れていた。すると、しばらくして、祖母が母と帰ってきた。

 話を聞くと―。祖母の次男、つまり私の叔父は当時、重い結核を患っていた。彼に「少しでも白米を食べさせてやりたい」との一心で、やっと1升分を手に入れた祖母。撫養駅まで帰ったところ、そこで張っていた署員につかまったのだそうだ。当時、米は配給制。こっそり闇米を買うことは禁じられていた。違反すると重罪となった。

 運よくその場に、祖母をよく知る薬局の店主が署長と話していた。地獄で仏とは、このこと。店主が「量も少ないし、親心もくんであげて」ととりなしてくれ、祖母は「今後は闇米は買いません」と謝り、無事帰宅することを許されたのであった。

 当時、撫養駅は今の鳴門郵便局の位置にあった。その向かいが鳴門警察署だった。薬局の店主には今も深く感謝している次第。