「戦時下の暮らし 記憶のかけらを集めて」は、全国の地方新聞やNHK、ウエブメディア計12社によるキャンペーン「#あちこちのすずさん」との連携企画。7月に投稿を呼び掛け、集まったエピソードを紹介する。

 

徳島県美馬市脇町・野崎芳江(94)

 英米を相手にする戦争が始まってから世の中が変わってきた。「挙国一致」「ぜいたくは敵だ」といったポスターが方々に出ていた。奢侈品の製造販売の禁止で、呉服店では金糸銀糸の入った衣類は売れなくなった。その頃は和服を着た人が多かったが、着物のたもとが長ければ、短く切られたとか。もんぺが通用着となり、結婚式にも国民服ともんぺ姿で出た。女学校でももんぺの作り方を教えてくれ、みないろいろな柄のもんぺを着ていた。

 タオルや足袋なども配給制で、それも衣料切符がないと買えなくなった。粗悪な品ですぐ破れた。足袋は毎日、修繕に追われた。

 大学を出た兄は就職が決まっていたが、召集された。脇町小学校の校庭で壮行会をしてくださり、大勢に見送られた。「私の行きます所は九州久留米の戦車隊であります」。兄の名調子のあいさつは今も耳に残る。家族の祈りのかいあってか、兄は無事に帰って来た。入り口のガラス戸から大きなリュックを背負った兵隊姿の兄が現れたとき、みな驚いた。