「戦時下の暮らし 記憶のかけらを集めて」は、全国の地方新聞やNHK、ウエブメディア計12社によるキャンペーン「#あちこちのすずさん」との連携企画。7月に投稿を呼び掛け、集まったエピソードを紹介する。

 

徳島市名東町・井関日佐子(80)

 私3歳、姉5歳、母25歳のとき、父は亡くなった。28歳の若さである。戦争に連れて行かれ、病気になって帰郷し、家で亡くなったのだ。姉を実家に残した上で、私を連れて里に帰ってよいと母は言われたそうだが、子ども2人を守るために嫁ぎ先にとどまった。

 終戦の年、私は4歳半で、家族と母の里である那賀郡今津村へ疎開していた。今津小学校へ入学した。お手玉や枕の中に入れる数珠玉をよく集めた。数珠は川辺でひっそりと花を付け、たくましく育つ。小さな青い実は風雨にも炎天にも耐え、やがて熟していぶし銀になり、子孫のために散っていく。レンゲ畑で遊山箱を下げての春のお節句も懐かしい。小学校3年生の2学期、徳島市の西船場に家を建てて戻り、新町小学校に転入した。

 記憶にない父。一度、「お父さん」と呼んでみたかった。母は愚痴を言わず、2人の女子を高校までやり、教育してくれた。心より感謝している。船場に帰ってからも春、夏、冬の休みに祖母宅へ行くのが楽しみだった。柿、ヤマモモ、夏みかん、餅、あられ。おやつが目的だった。田園で遊んだ思い出は永久に心に残る。