「戦時下の暮らし 記憶のかけらを集めて」は、全国の地方新聞やNHK、ウエブメディア計12社によるキャンペーン「#あちこちのすずさん」との連携企画。7月に投稿を呼び掛け、集まったエピソードを紹介する。

 

徳島県鳴門市大津町・上田幸子(83)

 8月15日、祖父から正午に台所のラジオ前に集まるよう言われ、祖父母、叔父、叔母と私の5人で玉音放送を聞いた。8歳の私は何も分からず、天井にある小さな窓から見える空をきれいだな、と見上げていた。祖父から「下を向いて聞きなさい」と注意され、下を向いて終わりまで聞いた。

 当時、私は兵庫県から母の実家のある鳴門市に疎開していた。幼稚園の頃にはまだ、阪神パークや百貨店に両親と出掛けていたように思う。終戦後、父は会社の後始末で悲しい思いをしたようだ。社宅が全焼し、焼け跡の羽釜の形で「ここが家だ」と確認したこと、部下の遺骨(会社が爆撃されて亡くなった)を家族に送り届けたことなどを話してくれた。

 私は小松島赤十字高等看護学校を出て看護職として35年近く働いた。終戦の日が近づくと、あの台所と天窓と青い空を思い出す。あの場にいた他の4人はもう、いないけれど。