「戦時下の暮らし 記憶のかけらを集めて」は、全国の地方新聞やNHK、ウエブメディア計12社によるキャンペーン「#あちこちのすずさん」との連携企画。7月に投稿を呼び掛け、集まったエピソードを紹介する。

 

徳島県吉野川市鴨島町・喜島稔代(90)

 1945年、私は石井町に住む女学校3年生だった。4歳年上の姉・里美は東京の女子医学専門学校の4年生。翌年3月には卒業し、父の歯科医院を継ぐ予定だった。5月初旬、石井町に戻っていた姉の元に、学校から「最近は空襲が少ないから上京しなさい。学校に来ないと卒業させない」と厳しい通知が何度も届いた。卒業できなければ今までの苦学が無駄になる。父は仕方なく切符を手配した。

 5月20日、母が走り回って集めた豆や粉物などの食糧をリュックサックに入れて、里美は上京した。それから1週間もたたない5月25日の夜、東京は大規模な空襲に見舞われた。大学から「サトミシス スグコイ」と電報が届いた。リュックサックを背負った里美が逃げる途中で転ぶ姿が何度も頭に浮かんだ。母は里美を東京に行かせたことを死ぬまで悔やんでいた。