「県都の顔」として多くの県民らに親しまれてきたそごう徳島店(旧徳島そごう)が31日、37年の歴史に幕を下ろします。閉店を前に徳島新聞が「そごうと私」と題したエッセーを募集したところ、県内外からたくさんの作品が寄せられました。どの文面にもそごうへの感謝や惜別など、かけがえのない思いがこもっています。
大切な物?を忘れた苦い思い出
私の中で一番の思い出と言うと、とても苦い思い出です。私は自分でも驚くくらい忘れん坊なのですが、そごうの前にとても大切な物?を忘れました。
私には3人の子供がいます。4人でそごうに買い物に出掛けましたが、長女は別行動をとっていました。17時に1階の外で待ち合わせをしていたのですが、そのことをすっかり忘れ、3人で家に帰っていました。
夕ご飯を食べ始めようとした時に、やっと長女がいないことに気付きました。急いで車を走らせましたが、当時は携帯電話などない時代でしたので、長女は半泣きになって立っていました。
そごうを見るたびに思い出す、とても苦い思い出です。(三原みゆき、58歳)
夢を与えたそごうの開店
1970年代、徳島は「島の中の島」と呼ばれた。日本が成長の波に乗っている中、本県は実質成長率が全国下位14位から4位に落ち込む。さらに人口10万人当たりの交通事故発生率は全国1位が毎年で、6年間も続いている。道路は悪路。交通民度は低い。まさに島の中の島の県だった。
そごうの開店は、その低落から抜け出る夢を与えた。徳島駅前も都市化した。ダイエーの出店はそれまでの商店街の目線を変えた。商店主の上からの目線を平行にした。そごうにも同じことを期待した。果たして。
その頃、私用でよく京都に行っていた。高島屋、大丸、阪急(当時は開店していた)へ毎回、ぶらぶらと行く。意識はしないが自然に比較する。目線、言葉(なれなれしいのが良いのか、それとも)、無料駐車時間などさまざま。
先日、最後の買い物に行った。万年筆のインク。万年筆売り場は無く買えなかった。定価400円。(石井町、荒川博治、88歳)
そごうと共に生きてきた私
昭和58年、初めて羽田-徳島間に就航したジェット機に搭乗した時、隣の席にたまたま座っていた、ものまねタレントの松居直美ちゃん(都はるみ、石川さゆりが得意)と話をすると、そごうのオープンセレモニーに招待されて、ものまねショーをするので見に来てくださいと言われ、見に行ったことを一番に思い出す。
次に、当時交際していた彼女から誕生日、クリスマス、バレンタインのたびにポロ・ラルフローレン、Jプレス、マクレガーなどのセーターやズボン、ネクタイなどをプレゼントしてもらったことを忘れない。
さらに、5階の紳士服売り場にあったタケオ・キクチのビキニブリーフを100枚買い占めた時に、そこの店員に「何十年もそごうに勤務しているが、これだけ大量にまとめ買いをしたお客さまは見たことがない」とびっくりされたこと、それらを詰めた大きな箱を台車に載せて地下の駐車場まで運んでくれたことを昨日のように思い出す。
確かに私は、そごうと共に生きてきたのだと強く思う。(阿南市、谷川顕三、63歳)
すてきな思い出をありがとう
そごう閉店まであと○日? と聞くたびに、華々しく開店した日を思い出します。長女が1歳の時でした。当時は大鳴門橋も明石海峡大橋もなく…。その徳島にそごうがやって来るということで、駅前辺りはキラキラ輝いている空気が流れていました。
小中高と子供の成長とともに、学校指定のお店であったこともあり、お店を利用する機会はありがたいほどありました。次女も同じように長女の後に続き…。その間に家も新しくなり、全館通じてその用途用途でお世話になりました。
友達への贈り物、頂き物、親戚への贈り物など。本当によかったのになあ。平たく言えば、便利よかったのに。正面玄関にあるイッツアスモールワールドのからくり時計。おしゃれでかわいかった。この時計の下で待ち合わせ。子供たちと見上げて楽しんだひととき。
思い起こせば、どんどん噴水のように湧き上がってきます。すてきな思い出をたくさんありがとうございました。(徳島市、森由美)
大きかったブランド力
私は子供の頃よりデパートになじんでいたので、そごうがオープンした時は本当にうれしかったです。母は「何かのときはデパートに行けば一流の物なので安心して贈ることができるから」が口癖でした。
私も同じ思いから、お中元、お歳暮、結婚祝いなど色んな節目のときはよく利用させてもらい、内祝いのお返しの品なども迷ったときは店員さんが最適な物を提案してくださり、お世話になったことも度々でした。
包装紙のブランド力は大きく、誰もが認めるものでした。数々の思い出はありますが、誕生日祝いとしてデイサービスに通う母に、小さめで軽いのを選んでプレゼントしたリュックサックです。母は「あんないい物くれてありがとう。高かっただろう」と、さすが価値を分かってくれていて、うれしそうな笑顔で背負って見せてくれ、今でもその光景が目に浮かびます。
そごうが大好きだった母、天国でさぞ残念がっていることでしょう。37年間、本当にありがとうございました。(徳島市、船本眞理子、64歳)
セーターを見れば思い出す
子供が小さかった頃、休日は遠出をして、よく東新町へ出掛けた。映画を見たり、おもちゃの店に行ったり、丸新で昼ご飯を食べたり。当時は駅前より東新町がにぎわっていた。通りは前からも後ろからも人、人、人でいっぱいだった。
丸新の上階で昼ご飯を食べるときも、メニューが多かったので決めるのがなかなかだった。映画を見たのも、今思えば懐かしい。はやった映画を夏休みなどによく見に出掛けた。
その後、徳島へ出る機会があった。その時、そごうへ立ち寄り、1階には化粧品売り場があり、そこで化粧をしてもらう人や化粧品の説明を聞く女性の姿を見た。買い物をする時間は気分も明るくなるだろうなと思った。
婦人服売り場で白い薄手のセーターを買った。このセーターを見ると、そごうで買ったのを思い出す。1983年10月1日開業と知ったが、次女からは大学入学前にスーツを買ってもらった思い出があるとメールが届いた。子供も遠くで暮らしているが、今度は夫婦二人で訪れてみたい。私の小さな夢です。(三好市、喜多惠子、72歳)