近藤勇が所持していた吉川祐芳の刀。鞘には松江豊寿の伝来覚書が添付されている(霊山歴史館提供)

近藤勇

近藤勇が所持していた刀の伝来が分かる松江豊寿の覚書(霊山歴史館提供)

松江豊寿

阿南市羽ノ浦町にある刀匠吉川祐芳の墓

 徳島県阿南市羽ノ浦町明見で江戸時代に活躍した刀匠吉川祐芳(生年不詳~1897年)が作った刀(長さ75・8センチ)が、徳川幕府の京都の治安維持部隊「新選組」局長近藤勇(1834~68年)が最後まで持っていた愛刀の一つだったことが分かった。刀は近藤の死後、板東俘虜収容所(鳴門市大麻町)の所長だった松江豊寿が福島県旧若松市長時代に所持していた。刀は現在、京都市の霊山(りょうぜん)歴史館が入手して代表的所蔵品として常設展示している。

 この刀は、表面に「阿州吉川六郎源祐芳」、裏面に「慶応元丑年八月」と銘が刻まれており、徳島の吉川祐芳が1865年8月に作ったことが分かる。

 霊山歴史館の木村幸比古副館長によると、近藤が好んだやや重めの「剛刀」で重さは約1・2キロある実戦型。しかし使われた形跡はない。刀身を固定する付属金具の中で最も重要な「鎺(はばき)」が銀無垢(むく)で旗本クラスが持つ高級感もある。

 刀を納める鞘には、松江豊寿が来歴を記した覚書が添付されている。そこには、近藤から刀を託された家来が、近藤が斬首された後、京都の三条河原でさらされた首と共に持ち去って福島の寺に埋葬した、とある。

 松江は、1917年4月から20年4月まで板東俘虜収容所長を務めた。22年に陸軍退役後、若松市長に就いた。その頃、会津の歴史に興味を持ち、寺社仏閣を調査。福島の寺から刀を入手したとされる。松江は白虎隊墓所の拡大や会津戦争の旧跡の整備にも尽力した。

 刀はその後、松江の子孫から、日本刀の権威佐藤寒山(故人)の弟子の手に渡り、2017年に霊山歴史館が入手した。

 近藤は刀剣を多く所有し、愛刀「長曽弥興里入道虎徹(ながそねおきさとにゅうどうこてつ)」が有名。徳島県内の刀に詳しい銃砲刀剣類登録審査委員坂本憲一さん(72)=阿波市=も驚きを隠せない。

 坂本さんによると、吉川祐芳は、中国地方の戦国大名毛利一族吉川家の末えい。阿波に来て医師を代々続けたが、祐芳の代で刀匠を始め備前国長船祐永の門で修業をした。

 また、祐芳の別の刀は、徳島藩最大の騒乱「庚午(こうご)事変」の藩側の指導者新居水竹の切腹の介錯に使われたことが、介錯をした水竹の弟子原謹吾の手記で分かっている。

 坂本さんは「新選組はしっかりした武具を集めていた。吉川祐芳は地方の刀匠でありながら、よくぞ全国に知られる刀を作った。近藤の入手経緯は不明だが、郷土刀の面目躍如だ。里帰り企画展を期待したい。県民の目に触れる機会になる」と話している。

 【新選組】 幕末、徳川幕府の京都守護職松平容保の支配下に作られた剣客集団の警備組織。近藤勇局長と土方歳三副長は厳しい規律で統制。容保らの暗殺と幕府の転覆計画を立てた長州、肥後、土佐藩などの藩士約人が会合していた旅館池田屋を襲った池田屋事件など尊王攘夷運動を弾圧した。近藤は戊辰戦争で幕府軍として行動したが、敗走して捕らえられた。土方も北海道の五稜郭で戦死した。

 【霊山歴史館】 全国で初めて幕末と明治維新期の歴史を総合的に研究する専門博物館として1970年に京都に開館。志士、大名、天皇、公家、文人、画家の遺品や書状など約5千点を所蔵。坂本龍馬、中岡慎太郎、西郷隆盛、木戸孝允、高杉晋作ら倒幕派志士の他、新選組、徳川慶喜、松平容保ら幕府側などの史料が多い。