近年、徳島市の眉山周辺でイノシシの目撃情報が相次ぎ、農作物の被害も確認されている。今年に入ってからは6月以降、イノシシ出没を伝える新聞記事がたびたび掲載された。目にした人も多いだろうが、中には「こんな街中で?」といぶかる人がいるかもしれない。実はこの眉山のイノシシ、最近になって現れるようになったわけではない。半世紀前の徳島新聞をめくると、「眉山のギャング退治開戦」といった衝撃的な見出しで大きく取り上げられている。どうやら随分前から市民を悩ませていたようだ。

 市によると、目撃件数は2018年度が22件、19年度が29件で、20年度は8月末時点で既に17件に上っている。餌場を求めて活動範囲を広げているのが要因の一つに挙げられ、実際の目撃件数はもっと多いとみられる。

 そもそもいつから眉山にイノシシが住み着いてるのか。疑問に思い、古い新聞を調べてみた。

1964(昭和39)年11月5日の徳島新聞

 1964(昭和39)年11月5日付の紙面に「眉山に暴力イノシシ 八万、名東の百戸が被害」の見出し。記事には「眉山中、西部にイノシシが住み着き、さかんに農作物や果樹を荒らしている」「ふもとの八万町長谷、柿谷両地区から名東一帯に被害が続出。被害農家は百戸、被害面積は百ヘクタールにのぼっているという」などと書かれている。

 眉山のイノシシ騒動はこの頃から始まったのだろうか。記事には「昨年春ごろから四、五頭が集団ですみついたらしく…」「一昨年暮れから昨春にかけて園瀬川以南の多家良など山中でイノシシ約六十頭を射止めたが、そのとき一部が川を渡って眉山へすみ家を変えたのではないか」とある。

 この一昨年、昨年とは62、63年のこと。イノシシが眉山でのさばるようになって50年以上が過ぎていることになる。

1966(昭和41)年9月12日の徳島新聞夕刊

 66年9月12日付の新聞には、イノシシの駆除に関する記事が載っていた。「眉山のギャング退治開戦 イノシシ追う39人」の見出しで、眉山で実施した大掛かりなイノシシ狩りの様子などを伝えている。眉山は鳥獣保護区のため、この時は1カ月間、県が特別狩猟許可を発出。結果は「眉山中腹で一頭のイノシシを発見し、続けて二発ぶっぱなしたあと、その行くえを追っている」。

 同年12月2日付の紙面には「近く再び総攻撃 眉山周辺のイノシシ退治」の見出しで「生い茂った草や木にさまたげられ、子イノシシ三頭を射止めただけだった」とある。どうやら9月のイノシシ狩りの成果は芳しくなかったようだ。

 その後も駆除に関する記事はたびたび掲載されている。長年市民を悩ませ、関係機関が対応に当たってきたものの、現在まで解決には至っていないということだ。

 54年前の記事では20~30頭と推定されていた眉山のイノシシ。現在の生息数ははっきりしないが、19年度の捕獲数は約200頭に上る。繁殖を繰り返し、相当数が生息しているのではないだろうか。

 3年前、市道でイノシシとぶつかった70代の女性がけがを負った。人的被害も出ており、このまま好き勝手させるわけにはいかない。県は市や県猟友会と連携し、本年度中に痕跡調査に乗り出す。出没頻度の高い地域を割り出し、効率的な捕獲や市民への注意喚起につなげる方針だ。