田中角栄元首相は1918(大正7)年、新潟県に生まれた。同い年の男子は、戦争で9%近くが亡くなっている。昭和史に詳しい作家保阪正康さんによると、最も犠牲を強いられた年代だそうだ
角栄氏が所属した部隊は、終戦直前に満州で全滅している。自身は病気で難を逃れた。除隊後、20代半ばで大金を稼ぎ、その金を敷き詰めて権力の階段を駆け上る
カネこそが力。そう言ってしまえば品がないが、もっともっとと欲望の花を咲かせた、戦後社会を体現した政治家ともいえるのだろう。「クリーン三木」と呼ばれた本県出身の三木武夫元首相との激しい争いも語り草だ
47年、戦後2度目の総選挙で初当選。角栄氏は、こんな演説で聴衆を驚かせたという。「皆さん。三国峠を切り崩してしまう。そうすれば季節風は太平洋へ抜け、越後に雪は降らなくなる。土は日本海に埋めて佐渡と陸続きに」
奇抜な話ではあるが、あり得ない発想こそが持ち味だった。新幹線を通し、高速道路を張り巡らせて農村と都市の格差をなくす。日本列島改造論の発想自体には、人口減に苦しむ地方在住者として大いに共感する
外交では72年、日中国交正常化を成し遂げた。76年、ロッキード事件で逮捕されている。生誕100年。まあそのー、影の部分を含め、間違いなく歴史に残る政治家だろう。